『それで、おれは考えに考えた。とことん考えた。そして、とうとう結論を出した。
 おれの結論は、どうしたらいいか皆目見当がつかない、というものだった。』

                              ジム・トンプスン「ポップ1280」


 碇シンジお誕生日記念SS
『アスカ・ハンドレッド・リポート』



 料理というものは、素直な人間の方が上達するという。

 レシピどおりに作ることさえできれば、たとえ盛り付けが不恰好だとしても、味は
それなりにできるものだ。

 逆に個性を発揮しようと余計なものを足すと味が濁ってしまう。

 大さじ一杯、といったさじ加減を目分量で適当に計ると、しょっぱすぎたり、薄すぎ
たりしてしまう。

 その点、アスカは分量をきっちり計るタイプなので、その点は問題ない。

 彼女は妥協など一切しない。

 にも関わらず、作った料理が不味いのは、何故かというと。

 アスカが余計なことをしたがるからだ。

 自分らしさをつい発揮したくなってしまう。彼女にしてみれば、一手間かけたいとい
う気持ちの現れなのだが、そのせいで味に雑身が混ざる。結果として丁寧に作ったにも
関わらず、美味しく作れないことになってしまう。

 それは彼女にしてみれば納得できない状況だ。

 葛城家での三食の料理は碇シンジという、彼女と同い年の少年が作っている。

 その腕前はなかなかのものだとアスカは思っている。アスカの親友で、これまた料理
が上手い洞木ヒカリという少女がいるのだが、彼女もシンジの料理は上手だという。
ヒカリにしてみれば、料理において碇シンジは、良き戦友、良きライバルという関係の
ようだ。

 アスカは、なぜ自分が料理を始めようと思ったのか、きっかけを思い出せない。
 すでに料理が上手い同居人いて、黙っていても三食でてくるのだ。しかも非の打ち所
がない美味しい料理が。
 ただ、なんとなく、教室の休み時間などに、シンジとヒカリが料理の話をしている時
に、よくわからないが、二人が彼女からどんどん離れていくような、もしくは自分だけ
巨大なアリ地獄に吸い込まれつつあるような気持ちになったからかもしれない。

 その気持ちには疎外感という名前がついているのだが、あまり感じたくはない感じで
はある。

 それで彼女は、料理を作れるようになろうとしているのだ、と思うことにした。

『自分にわからないものがあるってえのは、座りが悪いというか、どーも落ち着かない
気になるのよねー』とアスカは考える。

 ただし、連戦連敗を繰り返してはいるが。

 そうした性格でなければ、もっと楽なんだろうとは思うが、それこそ性格というもの
はそうそう変わるわけがないのだ。

 元がつくとはいえ、エヴァのパイロットという特殊な職業についていた彼女だ。

「あの頃」は妥協なんか許されなかった。

 その時のことが影響しているのだろう。匙加減や茹でる時間、それに分量はこだわる
のだが、最後にどうしてもオリジナリティーを付け加えたくなってしまう。

 たとえば、チョコレートをクリームスパに投入したり、それともなければマシュマロ
をお麩の代わりに味噌汁に。

 自分で食べてみて、失敗だと気づくだけ、ましかもしれない。

 アイディアが良いか悪いかは別として、美味しい物は美味しい、不味い物は不味い。
そう感じる舌はできている。この辺りはシンジによる食育が功を奏しているのは間違い
ない。

 アスカはもちろん、シンジにもその自覚はないのだけれど。

 アスカは悩んでいる。

 せっかく料理を作ったのに、美味しいものが作れないのは残念だし、これではいつま
で経っても同居人に食べさせることができないではないか。

 彼女の同居人は、碇シンジと葛城ミサトという。

 ミサトの方は味覚が大らかだから、何を出したって美味しいと言うに決まっている。
彼女の舌が大らかであって、鈍いわけではないのは、シンジが味噌汁の出汁を変えたの
に気づいたことからわかる。

 だから彼女はあてにできない。何を出しても食べられればそれでいいと考えそうだ。
さすがセカンドインパクト世代というところか。

 アスカが気になるのはシンジの方だ。

 彼は料理が上手だ。

 そのシンジ優しいので、例えば不味いものを出されたとしても、正直に不味いとは言
わないだろう。きっと、いろいろな言葉を駆使して褒めるはずだ。

 アスカは、そんな気を使わせたくないし、使われたくない。

 できることなら、作る以上は美味しいものを食べさせたいし、美味しいねと言わせた
いし、言われたい。

 その辺りの心情は、アスカも認めたくないような認めてしまってもいいような感じで
あって、複雑な乙女心である。

 だから、実際のところ、アスカが作った料理は、一人試食会のようになってしまい、
まだ碇シンジに食べさせたことはない。今のところは。

 それである日、アスカは決心した。料理を教えてもらおうと。

『やっぱ一人でやっても、らちが開かないわよね』とアスカは思った。

 では誰に教わろうかというと、それは彼女の親友しかいない。

 そう考えたのは授業中だったので、残りの時間、アスカはもどかしさを十分に味わっ
た。授業用の端末でメールしたりするのは考えなかった。

 その辺はしっかりと線引きされなければならない。ただでさえ外国の大学を出ている
のに日本の高校に通っているのでアスカは目立つ。無駄に学校からマークされたくなか
った。

 注目されたい、賞賛されたい、と考えていた「あの頃」とは大違いだけれど、彼女に
してみれば言い分がある。

 人間って変わってゆくものなのよ、と。

 それで彼女は時計を見続けた。

 終われ終われ終われ終われ。

 と真剣に壁にかかった時計を見続けた。

 これがエヴァ弐号機だったら、ピカーンと目が光って、終わったりなんだりしたのだ
ろうが、壁の時計はただの時計だったので、彼女の想いはまったく通じなかった。

 永遠とも思われる時間が過ぎて、終業のチャイムが鳴ると、アスカはヒカリの席へと
高速移動した。さすがに机の上を跳んで移動したりはしない。

 ヒカリにこれから料理を教わる約束を取り付けたアスカは、今度はシンジに話しかけ
る。彼はまだ席から立ち上がらずに今の授業の復習をしているところだった。

「シンジ」

 アスカが呼ぶと、シンジは顔を上げた。

「どうしたの?」

「今日これから、ヒカリの家に寄るから」

「わかった。晩ご飯までには帰るよね」

「それなんだけど、これからヒカリに料理を習いに行くから。だから今晩はアンタ作ん
なくていいわよ」

「そうなんだ。十九時半には晩御飯にするからね」端末に目を戻したシンジが、
がばっとアスカを見た。「え? なんて言ったの?」

「今日の晩ご飯はアタシが作るから」

「え? どうしたの急に」

『失礼ね。驚きすぎじゃないの?』

 そう思ったアスカだが、少しばかり楽しくなってきてもいる。一人の時にこっそり料
理の練習はしているが、まだシンジに食べさせたことはない。

 当然、シンジにしてみれば、急な話だと思うだろう。

 本当のところは違う。もう何回も何十回も失敗して、教わるのが嫌いな性格が裏目に
出て、一人で苦労していただけだ。

 自分の素直でない性格を恨めしいと思うアスカだったが、途中で放り出さなかったと
ころは、自分でも褒めていいと思っている。

 アスカ自身まだ気づいていない感情が、彼女の内面に長いスパンで形成されつつある。

 それは鍾乳洞が永い永い時間をかけて構成されるように、少しずつ、でも確実に生ま
れてきている。はっきりとした形になる途中のことであるので、まだ自分でも気づいて
いないが、いつかもう少し大きな形になった時に気づくのだろう。

「というわけで、ヒカリの家にいるから、十九時になったら迎えにきて」

「なんでさ?」

「アンタ、ヒカリの家でご飯食べる気? アンタが自転車で迎えに来てくれたら、ご飯
を自転車のカゴに入れてさ、二人乗りして帰れば楽じゃない」

「僕が自転車を漕ぐんだよね」

「当たり前でしょ。アタシがご飯作るんだから、アンタが漕ぎなさいよ」

「二人乗りは法律で禁止されてるよね」

 言い返そうと口を開きかけたアスカだが、シンジが「それにさ」というので黙る。
珍しくアスカが言いたいことを途中で言わなくなっているのだが、こうした一歩も引か
ないシンジという状態はたまにあって、そういう時は大抵、彼は大事なことを言うのだ。

「それに、二人乗りってブレーキの効きも悪くなるし、重心が高くなるから、カーブで
曲がりきれなくて転ぶかもしれないよ。僕だけだったらいいけど、アスカに怪我させた
ら嫌だな」

『おお。コイツ、シンジの癖にいいこと言う。凄くいいこと言うじゃない。問題はいい
こと言ってる自覚がないことよね』

 気を使われているのがわかり、アスカは少し嬉しくなった。

「一応、自転車で行くけど、カゴにご飯だけ入れてさ、それで自転車押して帰ろう」

『少女マンガのワンシーンみたいね、何のマンガか知らないけどさ』

 アスカとしては、いい展開だ。

 そこまで誰も考えが及んでいないが、あとはアスカが上手く料理をすることができれ
ば、完璧な一日にすることができそうだ。


   ■■■ ■■■ ■■■


 十六時に下校して、買い物をして、教えながら料理する。その後、十九時にシンジが
迎えに来るとあって、今回の先生となる洞木ヒカリが選んだのは、

『鮭と胡瓜のちらし寿司』だった。

 これなら説明して、実際に調理しても、二時間あれば楽々作れる。一番時間がかかる
のがご飯だが、これは一時間ちょっとあれば炊き上がる。なんなら味見する時間もある
だろう。

「どうしてもアタシが作ると不味くなるのよね〜」

 スーパーで買い物を済ませ、ヒカリと並んで歩く道すがら、アスカは状況をかいつま
んで説明する。

 今まで生きてきて、挫折らしい挫折は経験したことが無かった。

 一つ、もの凄い挫折を十四歳の頃に味わったことはあるが、あえて記憶のその辺りの
領域には意識を伸ばさないようにしている。

 納得して、消化しきっているとはいえ、過去の古傷はあまり触れたくないのだ。

「日本には甘辛って味付けがあるんだから、甘いものと辛いものは共存できるはずなの
よね。むしろ相乗効果が期待できるはずなのよ」

 ヒカリは、何を言うでもなくアスカの言葉にただ頷いている。実際に見ていない、食
べていないうちから意見を言うのは不毛だとわかっているからだ。

 今回の料理は手間がそんなにかからず、美味しく作ることができる。まずは、アスカ
に料理への自信を持たせることが肝要だ。

 お米を炊いて炊飯器にセットする。ヒカリは丁寧に説明した。

 アスカはヒカリの言うとおりに動いていく。洗った胡瓜を塩もみして、置いておく。
その次は鮭を焼くのだが、少し置いておいて、常温に戻してから焼いた。

 炊いたご飯で酢飯を作る。胡瓜は輪切りにして、ほぐした鮭と一緒に酢飯に混ぜる。

 錦糸卵があればなおいいが、今回は完成させることが目的なので、ヒカリは説明を割
愛した。

 完成したちらし寿司をヒカリは、小皿に一口分をのせて、食べてみる。きちんとした
盛り付けで、アスカが最初に食べさせたい相手は、シンジだろうという、ヒカリの気遣
いだ。

「アスカ。美味しくできたと思うわ」

 ヒカリは、うなずきながら食べた。自分のレシピではあるが、その通りに作るのは、
やる気と根気が必要なのだ。

「先生がいいからよ〜」

 謙遜を覚えたアスカが、そう言うが、顔はまんざらでもない。

「アスカも食べてみたら、ってアスカ! ストップストップ!」

 アスカがちらし寿司に余計なトッピングを振りかけようとするのを見て、ヒカリは
テーブルに手をついて、慌てて立ち上がる。

「いいの。チョコレートは散らさなくていいの。まずは今のままで味見してみて? 
え? ベルギー製? いやいや。うん。ベルギーのでもスイスのでもチョコレートは
のせたらダメなの。まあまあ、とにかくそのままで一回食べてみましょうよ」

 とりあえず、ヒカリはアスカの料理が上手くいかない原因がわかったような気がした。

「これに足すとしたら、焼き海苔とか錦糸卵、胡麻、刻んだタクアンとかもいいんじゃ
ないかしら。それはおいおいね」

「ふ〜ん。そんなもんなのね〜」

「もちろんお好みで、ってことだけど」

 アスカにすれば、これだけ上手くできたのだ。よりいっそう良いものを作りたい気持
ちはあるが、せっかくヒカリが教えてくれているので、素直に聞くことに聞く。

 ヒカリにタッパを貸りて、ちらし寿司を詰めた。くれると言うので、焼き海苔と胡麻
をありがたく少し分けてもらう。

「本当に最後に何かかけたいなら胡麻だけでいいんだからね。ラムネとか入れなくてい
いのよ。甘い必要はないから」

 彼女はおぼろ昆布までくれた。お椀に一つまみ入れてお湯を注ぎ、つゆの素を入れれ
ば、簡単お吸い物になるというのだ。

 食べ方に関して釘を刺されてから、料理に関する話題は一旦終了する。

 女の子同士だから、色んなことを話したい。

 お茶を飲みながら、学校のこと、ヒカリは鈴原トウジのこと、アスカはシンジの話を
する。

 そして将来のこと。

「どうしよっかな、ってのが今のアタシの正直な気持ちなのよ。ドイツで育ったけど国
籍はアメリカだし、日本での生活にも慣れたし、友だちのヒカリはいるし、高校入って
からかしら、レイとも少しは話すようになったし。基本、ヨーロッパの考え方なのかし
らね。どこでも仕事と住むとこがあれば、生きていくには困らないって思うのよ」

 そんな話をしていると、十八時五十五分になる。洞木家のドアの外、その廊下の方で
足音がする。

「シンジ、来たかしら」

 首をめぐらせて、アスカはドアの方に顔を向けた。

 しばらく待ったがチャイムは鳴らない。

「ちょっとごめん」とヒカリに言って、アスカはドアまで、そーっと歩いた。

 ドアについたドアスコープを静かにのぞくと、シンジの背中が見える。

『来たんならチャイム押せばいいのに』

そう思ってアスカがドアを開けると、シンジが振り返った。手は廊下の手すりにのって
いるので、団地の廊下から、外を見ていたのだろう。

「あ、アスカ」

「早かったじゃないの。来たんならチャイム押せば良かったのに」

「ちょっと早く着いたからね、十九時ちょうどに押そうと思ったんだ」

 そういう所がいかにもシンジらしい。

 アスカはヒカリに別れを告げ、自転車を押すシンジと並んで帰り路をゆく。この時期、
外はまだ明るい。風が涼しくなってきているが、話してながら歩いていると気になるほ
どではない。二人とも、前を見ている。同じところを見ている。

 話すのは主にアスカだ。それにシンジが相槌を打つ。

 話題は、学校であったこと。ヒカリと話したことでシンジにも話して大丈夫なところ
だけ。そんな話をシンジは「凄いね」といったり「それは大変だったね」と的確に相槌
を打つので、ついアスカも話に力が入ってしまう。

 必然的に、あっという間に葛城家に帰り着く。住み慣れた我が家に。

 夕食の支度という時に、シンジが言った。

「僕も手伝うよ」

 そういうシンジをアスカは強引に食卓に座らせる。

「すぐできるから座ってなさいよ」

 準備は彼女一人でした。教わったとはいえ、せっかくアスカ一人で作った料理なのだ。
最後まで一人で準備をしたい。

 シンジの丼にちらし寿司をよそう。それから簡単お吸い物をシンジの前に並べると、
彼は息を呑んだ。

 そこまで驚くことないじゃないとアスカは思ったが、まあいつも料理なんて
シンジに任せっきりだったのだから、彼が驚くのも仕方ないかと思い直した。

 シンジとしては、期待しないようにしていた。アスカがご飯を作ると言った時、期待
より不安の方が大きかったのだ。

 この先どうなるかわからない。それは二人の話だけれど、一人で決められる話でもな
い。なるべく彼女にご飯を作ってあげたいが、いつかシンジがアスカにご飯を作ってあ
げられなくなる日が来るとして、外食ばかりって食生活にはならないでほしいな。

 くらいには考えていたのだ。

 だからアスカが夕食を作ると言った時、自分で料理する気が出てきたかと嬉しく思っ
た半面。サラダと焼き魚が出れば十分と思っていた。

 何が出ても手放しで褒めようと決めていた。彼は褒めて育てるタイプなのだ。

 それがどうだろう。ちらし寿司という、立派な料理が出てきた。驚かないわけがない。

「これ、食べてもいいの?」

 シンジがそんなことを訊くので、アスカはその場でズッコケてしまう。

「いいに決まってるでしょ! その為に作ってんのよ!」

「そうだよね。ははは」頭の後ろに手をあてて、照れくさそうに笑ったシンジが
真剣な面持ちになりアスカを呼んだ。「アスカ」

「な、なによ」

「これ、記念写真撮っていい?」

「いいから早く食べなさいよ」

「いや、でもさ……」

「わかった。撮りなさいよ。好きなだけ」

「ありがとう。すぐ携帯電話とってくるね!」

 というやり取りがあって、シンジが写真を撮っている間に、アスカは自分の分をよそ
う。帰りが遅いミサトの分はラップして冷蔵庫にしまっておく。ミサトの驚く顔を見る
のも楽しみだ。

「いただきます!」

 そう言った、シンジが一口食べた瞬間、アスカは思わず息を止めてしまう。心の中で
は高速でシンジへ語りかけている。

 どう? 美味しい? アタシとヒカリは美味しくできたと思う。シンジはどう?
美味しかったら、美味しいっていうタイプよね。不味くてもアタシに気を使って美味し
いっていうタイプよアンタは。でも、そんなことこっちはわかってんだから本当の
「美味しい」か、気を使った「美味しい」かをアタシは敏感に察知するわよ。

 この間一秒半である。

「美味しいね」とシンジは言った。本当の美味しいの方だったので、アスカはこっそり
と安堵のため息をつく。

「そ、そう。良かったわね」つい、強がって言ってしまう。

「知らなかったな。アスカが料理できるなんて」

「ちゃんと料理したの、今日が初めてよ。それでこんなに美味しくできちゃうんだから、
アタシって才能あるんじゃないかしら〜」

 強がって言ってしまうが、嘘はついていない。人に食べさせられるだけの自信がある
ものが作れたのは、今日が初めてだ。

「へー。凄いね。才能あるかもしれないね」

「そ、それはどうかしらね。ヒカリの教え方が上手かったからだと思うわ」

 自分で言う分には問題ないが、シンジに言われると照れてしまうのは何故だろう。

「本当に美味しいよ」

 そう言ったシンジの目から、涙がこぼれた。

 それは最初、夕立のはじまりのように、一粒だけ、ぽつりと落ちた。

「あれ?」と当のシンジが驚いたような声を出す。

 そのまま彼は、はらはらと涙を流し続けた。

「あれ? あれ? おかしいな」

 シンジは自分でも驚いているようで、手のひらで涙を拭いている。

 焦るのはアスカも同じだ。おかしい。なんで泣くのかしら。ワサビ入れてないわよね。
と普段の頭脳明晰さはどこかに行ってしまっている。

「ごめんね。せっかく美味しいもの作ってくれたのにね。ちょっと思っただけなんだ。
僕のために誰かがご飯作ってもらったのって、記憶にあるのだと、これが初めてだな、
とか思ったらさ」

 それで感極まって泣いてしまったというわけだ。

 これがただのクラスメイトだったり、映画の登場人物だったら、男が泣くなんてと冷
めた目でアスカも見たかもしれないが、相手はシンジだ。

 彼が泣くなんて、思いもしなかった。

 アスカはどうしていいのかわからず、その場で固まってしまう。

 彼女自身は四歳の時に母を亡くしている。その時から泣かないと決めていた。それか
ら人前で泣いたことはない。ドイツにいる間は。

 日本に来てもそれはしばらく変わらなかったが、シンジの前では何度か泣いている。

 そういう時、シンジは黙って隣に座ってくれるのだ。彼女が泣き止むまでいてくれる。
もう少し、それ以上の何かがあっても良さそうなものだが、そこはシンジだ。

 隣にいてくれるだけど十分だ。とアスカは思っている。それ以上の何かがあったら、
アスカはもっと泣いてしまうかもしれないし。

 だから泣くシンジの隣に座るという選択肢以外、彼女には参考になる例がないのだ。

 それでアスカは黙ってシンジの隣に座った。シンジはうつむきながら、はらはらと涙
を流していたが、しばらくすると泣き止んだ。そして「ごめんね」とつぶやくように言
う。

「謝んなくていいわよ」そう言って、アスカはシンジの頭に自分の手をやって、わしゃ
わしゃと彼の髪をかきまわした。

 やってから自分のしたことに気づいて、指先から血が逆流し、腕、肩、首と通って、
何か熱いものが彼女の頬を赤く染める。

 明日から、どんな顔してコイツに会えばいいのよ。

 料理の悩みが解決したと思ったら、新しい悩みができてしまった。

 それ以来、ちょっとアスカは気まずいのだ。

 できれば、彼の誕生日を機に、改善したい。

 さらに彼女が腹立たしく思うのは、シンジの方はあまり気まづく感じていなさそうな
ことだ。


   ■■■ ■■■ ■■■


 六月が近づき、アスカは悩んでいる。

 もうじき碇シンジの誕生日だというのに何をプレゼントするか決まっていないからだ。

 喜ばれるものを贈りたい。それは既に決まっているのだけれど。

 例えば、金に糸目をつけずに高価なものを買う事だって可能だ。

 エヴァのパイロットだった時の給料というものがいまだに手付かずで残っている。
一介の高校生ではちょっと想像しづらい額が彼女の口座にはある。

 成人するまでは使えないよう、電子的にロックがかかっているが、それを突破するく
らい、彼女にしてみれば授業の数学と難易度的には大差ない。

 あえてしないのは、技術主任の赤木リツコにバレると面倒くさいから、ではなく、碇
シンジの物欲が少ないせいだ。

 それとなく欲しいものなどシンジに探りをいれるのだが、すると彼は天井を数秒みつ
め、「うーん」と息を吐き、その後、床をみつめ、「うーん」と息を吐くのだ。

 しかも最後に「ごめん。思い浮かばないや」と笑顔で謝る。

 謝るようなことじゃないでしょ、とアスカは思うのだが、そこがシンジらしいとも言
える。

 難しいところだ。

 喜ばせたい。しかし、気持ちが伝わりすぎるのも困る。

 その辺のバランスがとても難しい。

 いつもプレゼントのことは考えているのだ。アスカの頭のどこかに小さなとっておき
の場所があって、そこでシンジへのプレゼントを何にするかというアイディアが保管さ
れている。

 それでも考えすぎて、混乱してしまうことはあるもので。

 気づけばもう六月に入ってしまっている。

 六月六日までには、決めなければならない。

 彼の誕生日までには。


   ■■■ ■■■ ■■■


 六月五日、平年より何日か早い梅雨入り宣言を気象庁が発表していたが、その日は晴
れだった。

 休日の昼だというのにアスカはベッドに仰向けに寝転がり、窓の外を眺めている。

 特に外が見たいというわけではなく、彼女の頭脳は高速で回転中だ。

 考えているのはシンジのこと。というか、六月六日の件だ。彼への誕生日プレゼント
に何をあげれば彼が喜ぶか、というのが、ここ最近のアスカの悩みである。

 仰向けではアイディアが湧かなかったので、ごろりと寝返りをうって、うつぶせにな
ってみる。彼女は枕を両腕に抱え込んで目を閉じた。頭の中のデータからシンジの喜び
そうなものがひっかからないか検索するが、結果はゼロ件だった。

 彼女の部屋の廊下を挟んだ反対側がシンジの部屋だ。出かけた様子はないので部屋に
いるようだ。きっと生真面目に学校の予習復習などしているのだろう。

 彼は出かける時、廊下からアスカの部屋のふすま越しに声をかけていくはずだから。

 それにしても、プレゼントはどうしたらいいだろう。

 食べ物だと、食べたら無くなってしまう。当たり前だが。

 物だと気に入ってもらえなかった場合は、シンジのことだから捨てるようなことはし
ないだろうが、机の引き出しのどこかにしまわれたまま忘れられてしまうだろう。

 それがアスカには少し怖い。

 いつか王子様が、などと考えるほどアスカも子供ではない。今のシンジ、もしくはい
つかのシンジが、今のアスカとは違うアスカへの道を示してくれるのだろうか。

 それとも自分で見つけるのだろうか。

 勝手に歩きたいように歩いて、振り向いてみたらそこにシンジいる。というのが一番
良さそうだが、そうでなかった時、アスカの気持ちはどこにいくのだろう。

 それとも、気に入られなかったプレゼントと同じく、記憶の机の中にしまいこみ、忘
れてしまうことになるのだろうか。

『なんだかプレゼントのことから、凄いとこまで来たわね』とアスカは考えた。

『部屋で一人で考えてるから、余計なことまで考えるのよ』

 そう思ったアスカは、カッと目を見開いた。

 それまで腹ばいの姿勢でベッドに寝転んでいたアスカは、仰向けになると片足を上げ
た。戻す反動でベッドから起き上がる。

 出かける準備をしながら考える。

『今ここにまだ無いことを心配しすぎるのは良くないわね。準備はしておくべきだけど
さ。ここにいたって、いい考えは浮かばないし。実際に街に出れば、何か思いつくかも。
デパートでも行ってみようかしら』

 データが少なすぎるから、きっと閃めかないのだ。

 思いついたら即実行のアスカは、そのまま街へと繰り出した。

 廊下で、ふすま越しに、自室にいる筈のシンジに出かけることを伝えてから。


   ■■■ ■■■ ■■■


 デパートに行くと、エスカレーターで上の階へと移動する。

 買うものが決まっている時、アスカはエレベーターで、さっさと目的の階に移動する
のが好きだが、今日は何かないかと見て回ること自体が目的だ。各階の雰囲気を感じる
ためにも、エスかレーターを使うことにした。

 紳士服売り場のショーウインドウを見るが、これならばとアスカが思ったものは大抵
高い。七、八万円だったり、十二万円だったりする。

 自分の審美眼が憎い。

 そういうのは高校生のうちは早いわよね。だいたい、今からそんな高いのあげたりし
てたら、将来的にもっと高いのあげなきゃいけなくなるじゃない。

 将来。

 少し想像して、アスカは一人で顔を赤くした。エスカレーターの手すりをつかむ手に
力が入る。

「そうよ。生活雑貨よ。文房具よ。アイディア商品も良いかもしれないわ」

 今しがた考えたことを頭から追い出すように、アスカは小声でプレゼント候補を小声
で口にした。

 そこからさらに何階か上にあがると、雑貨を扱う階にたどり着く。

 ここならコップやスプーンといった食器や、システム手帳やボールペンも扱っている。

 見ていくうちにピン、と来るものがあるかもしれない。

 どこから見ていこうかと、彼女が振り返ると、青い横じまのシャツを着た若い女性と
すれ違った。 『あれって、ピカソが着てたボーダーってシャツよね。レトロな水着にもあった
デザインだと思うけど』

 とぼんやり違うことを考えていたアスカだったが、いつの間にか見慣れた姿が視界に
入る。休みだというのに制服姿で、ショートカットの青い髪。

『レイ?』

 碇シンジが高校生になるとき、アスカも同じ高校を受けた。

 シンジは自分で選んだ高校に通っている気でいるかもしれないが、実際にはアスカが
上手く誘導したこともあるが。

 アメリカで大学院まで出ている彼女にしてみれば、高校の勉強なんてものは必要性を
感じないが、その三年間が重要なのだ。

 どのように過ごすか、ではなく、誰とすごすかが。

 将来はどんな大人になりたいかをシンジに聞いても、彼は困ったように笑うだけで答
えない。

 アスカにしてみれば、なんで答えないのだと不満である。それが自分にも関係あるの
だ。

 だから、高校生活でやりたいことやなりたいものにシンジが出会った瞬間、できれば
彼女もその場にいたいと考えている。

 男子校でさえなければ、シンジが合格できそうな高校は、アスカも受かる自信がある。

 日本の高校受験はテクニックだ。詰め込んだ知識の量と繰り返した演習問題の量が、
合格という結果につながるようにできている。とアスカは分析していた。

 アスカと綾波レイは高校が同じで、知らない人がいるといけないので書いておくが、
中学も一緒だった。

 まさか高校も一緒になるとは思わなかったが、ネルフの権限でどうにかしたらしい。
それを言ったら、ネルフの電脳三賢者バルタザール、メルキオール、カスパーが市の政
治をになっているのだ。

 学校教育は行政の管轄ではないか。一人枠を増やすことくらい、お手のものだ。

 アスカが綾波と友達になったのは、シンジのせいだと言える。

 アスカが綾波と仲良くすると、彼はとても嬉しそうなのだ。

 そこに釈然としないものはあったが、それでもシンジの喜ぶ顔を見るのは嫌ではない。

 そうしているうちに、仲良くなったのだとアスカは思っている。

「レイ」

 デパートなので辺りを気にしつつ名前を呼ぶと、綾波レイはアスカを認め、しずしず
と近づいてきた。

 手を振るわけでも、表情を変えるでもなく、だからといって無視するわけでもないと
ころが彼女らしいとアスカは考えている。

「どうしたのよ。こんなところで」

「碇くんが喜ぶものを探しにきたの。明日は誕生日だから」

 どうしてアタシたちがレイ、アスカと呼び合ってるのに、シンジとレイは、
綾波、碇くんなのかしらね。

 それがアスカには不思議でならない。たぶん、気を使いすぎているのだろう。
一度きっかけを失うと、なかなか呼び方を変えるのは難しい。

「あなたは?」

 聞かれて、バツが悪いような気もするが、アスカは素直に答えることにする。

 これがシンジにもできていれば、こんなに悩まないでも済むこともあるのだろうが、
やはりきっかけが難しいのだ。

「アタシもシンジのプレゼント探しに来たのよ。何かあった?」

「なかったわ。だから貰ったら嬉しい物を聞きにいこうと思って」

「シンジに?」

「いいえ」綾波は静かに首を振った。「本人に聞いたら、楽しみが減ってしまうかもし
れない」

 なるほどと、アスカは思った。言われれば確かにそうだ。

「でも、それじゃ誰に聞くの? まさか司令?」

「それも違うわ」

 ますますわけがわからなくなったところで、どこから風が吹いてくるのを感じた。
アスカの紅茶色の髪が煽られるので、片手で抑える。

 デパートでこんな強い風が吹くわけがないのに、と思いつつアスカが顔を上げると、
天井があったはずの場所には青空が広がっている。

「は?」

 デパートはどこに行ったの?
 
 と思うアスカの頭上を、巨大な物体が一直線に飛んでいく。それは翼を広げた翼竜で、
轟く風をまとっている。

「リンドブルム!」アスカは思わず叫んだ。

 翼の生えた竜のことをドイツ語ではリンドブルムと言う。

「いいえ」と綾波がこともなげに言った。「あれはドラゴンよ。足が四本ある竜は翼が
あっても無くてもドラゴンだわ。足が二本だったらワイバーンだけど」

「名前なんてどうでもいいのよ、なんでドラゴンが空飛んでんの? え? アタシたち
さっきまでデパートにいたわよね」

「ここは私たちがいた世界とは別の世界よ。ただしエヴァや使徒はいないみたいね。
代わりにドラゴンがいる世界。この世界での碇くんに聞いてみようと思って」

 そう言って綾波が指さす先には、丘だ。

 その丘のてっぺんは円形の舞台のように競り上がった広い場所になっている。そこに
は十字架にかけられた白い人型があり、その下には長い棒を持った少年が立っている。

「シンジじゃないの」

「そう。この世界の碇くん。彼に自分が欲しいもの、貰ったら嬉しいものを聞く。
そうすれば、私たちの世界のシンジくんに知られずに欲しいものがわかるわ」

「それじゃ、さっそく聞きにいってみようか」

 そう話しているうちに、翼の生えた竜がシンジのいる丘めがけて飛んでいく。遠く
彼方からももう一匹の竜が飛んでくるのが見えた。


   ■■■ ■■■ ■■■


 吹き抜ける風が、この世界の碇シンジの前髪を撫でている。

 彼はそれを気にせず、小高い丘の上に立ち、もっと強い風が吹くのを待ち構えている。

 まっすぐ立ったまま、ついと首を上げて空を見た。

 水色の空には綿のような雲が幾つか浮かんでいるだけだ。

 彼は頭上に浮かんだ雲を一つ選んで、それを凝視した。雲は空のどこかに引っかかっ
ているような鈍い動きだが、それでも少しずつ少しずつ北の方角へ進んでいるようだ。

 北進する雲の動きが今よりもっと早くなったら、それが竜の現れる兆候だ。

 シンジは仕事の体勢に入らなければならない。

 父にそうしろと言われているから。

 十四年ぶりに繁殖期に入った翼竜たちが、愛の巣を作るための縄張り争いを始める
兆候に入った、という話を聞かされたのが三ヶ月前。

「行け」と父に言われてこの場所に来たのが先週のこと。

 人の居住地から離れた山奥あたりで暴れれてくれればいいものを、竜は人間が目に
入らないらしく、遠く水平線の彼方からやってきては、好き勝手に暴れる。

 竜たちも種の存続に必死なのだろうが、人間側としては迷惑な話だ。

 シンジが今いるような人里を離れた広い場所に、竜寄せの白い木偶(でく)を飾る。
あまりに大きい木偶なので、十字架に引っ掛けないと、立たない。

 理由はわからないが、雄の翼竜たちは引き寄せられるように、この木偶めがけて飛ん
できて、縄張り争いを始めるのだ。

 まあ、せいぜい踏み潰されたり、羽ではじき飛ばされたりしないようにしよう。

 シンジは手にした杖を地面に突き立てつつ、そう考えた。生きることも死ぬことも、
曖昧すぎて彼にはまだイメージがわかない。

 何かしたいことがあるわけでもないので、行けと言われればこんなところにもやって
くる。死ぬということがわからないので、竜の縄張り争いの監視という仕事をいきなり
割り振られても、文句一つ言わず、淡々とこなす姿勢を見せる。

『そういや、アスカがなんか怒ってたな。なんだったんだろう』

 なんとなく幼馴染の女の子の顔が、この世界のシンジの頭に思い浮かんだ。彼が思い
出している彼女は、怒ったような泣きそうなような顔をしている。

 そんなことをぼんやり考えていたシンジの頭上が、一瞬だけ暗くなり、何か巨大なも
のが通り過ぎていった。

 はっと我に返ったシンジは、慌てて手にした杖を地面に突き立てる。しゃがんだ彼の
いる辺りに、突風が吹きつけてくる。

 姿勢を低くして、なんとか吹き飛ばされることなくやり過ごしたシンジは、空を確認
した。

「うわあ。大きいなあ」

 実物の竜を始めてみたシンジの感想だった。灰色の竜が、その巨体からは想像もつか
ない軽やかさで、空中を飛んでいる。それは重力を無視した動きだ。水中の魚のような
動きだ。まさしく、飛ぶというより泳ぐような軽やかな動きだった。

 続けてもう一体、緑色の竜が現れる。

 どちらの竜も、体中をウロコで覆われ、短い手足、長い尻尾。蝙蝠のようなギザギザ
の翼をしている。違いは色くらいか。

「これは始まるかな」

 竜の縄張り争いを予想して、シンジは笑ってしまう。

 恐怖感が麻痺している。

 あまりに竜が大きいからだ。胴体だけで二階建ての家くらいあるのだ。そんな巨大生
物が長い首を伸ばして咆哮したり、翼を広げて相手を威嚇したりしている。

 自分の意識に入りきらないサイズのものが動くと、人間は笑うしかないようにできて
いるのだ。

「これは逃げなきゃダメだね」

 正直、竜をなめてた、というか仕事をなめてたとしか言いようが無い。

 まさかここまで大きいとは。巻き込まれたら、あっという間に潰されたり、飛ばされ
て死んでしまうだろう。

 シンジは笑いながら、必死にその場から走った。彼の仕事は竜同士の争いが終わった
後の話なので、よくよく考えれば、ここにいる必要はないのだった。

 息を切らせて走り、もういいだろうという所まで走ってきたシンジは、元いた場所に
目をやる。

 上空では、二匹の竜が円を描いて飛んでいる。お互いに距離を保ちつつ、相手の尻尾
を追いかけるように、ぐるりぐるりと逆時計回りに回っている。

 その後、何か彼らなりの合図があったのか、二匹は直線的に互いに突撃する。

 片方の竜が相手に上から覆いかぶさると、もう一方は下から体当たりする。長い尾で
打ちあったり、一度地面に急降下したと思えば、地面を蹴る反動で急上昇して相手の隙
をついたりしている。

 その争いの音で空気が震え、地響きは数十メートル離れたシンジの足の裏にまで伝わ
ってくる。

 シンジは巻き込まれて潰されないように、離れた場所から注意深く、翼竜の戦いを見
守った。

 その眼差しは、芸術家のようだ。巨大な作品を彫っている最中、いったん離れて出来
具合を見つめる彫刻家にのまなざしに近い。

 仕事でなければ、手放しで大自然に生きる者たちの戦いをずっと見ていられそうでは
あるが、始まった以上、終わりがくる。

 片方の振り回した尻尾が、もう一方の横腹に当たる。くらった方の竜は、ふらふらと
降下して、地面に横たわった。

 倒れた翼竜は猫の泣き声のような声をあげている。決着がついたようだ。

「終わったかな」

 シンジは周りに誰もいないのにそう言って、自分で確認する。そして杖をぎゅっと握
ると、竜に向かって走り出した。

 片方が戦意を失ったにもかかわらず、勝った竜はまだ荒ぶっている。

 どうも翼竜たちの戦いというものはそういうものらしく、勝った方が我を忘れている
ことが多い。

 翼竜は普段は温厚な生き物だが、縄張り争いをしている時の彼ら興奮している。

 負けた方は、おとなしくなるのだが、勝った竜はまだ動けるものだから、勝負の決着
がついてもまだ戦おうとする。最悪の場合、負けた方の竜は過剰に攻撃を受けて死んで
しまうこともある。

 それを防ぐのがシンジの仕事だ。竜圧士である彼の仕事だ。

 具体的に何をするかというと、竜圧士は翼竜の後ろ足の甲にあるツボや、前足の付け
根にあるツボなど、竜の体に何十箇所かあるツボを突くことで正気に戻す。

 そうして二匹を引き離すのがシンジの仕事だ。

 バサバサという翼竜たちの羽ばたきと、轟々という咆哮で、嵐のただ中の森にいるよ
うに思える。

「はいはいー。そこまでだよー」

 朗らかな声で言いながら、シンジは二匹の竜の間に割って入った。勝った竜が咆哮す
るのを一瞬だけ耳を塞いでこらえるが、すぐに手にした杖を、翼竜の前足の指と指の間
のツボめがけて突く。そしてぐいぐい押す。

 どこかで「離しなさいよ!」というアスカの声が聞こえたような気がするが、彼女が
ここにいるわけないし、空耳だろうということで深く考えない。

 これで大抵の翼竜は我に返る。

 それでも止まらない時は、前足の関節の下辺りを棒でぐいぐい押せばいい。そこが肘
なのか膝なのかを疑問に思いつつ押せばいい。

 鼻息が荒かった竜だが、しばらくするとツボのおかげか呼吸が収まる。最初のうち、
勝った竜は何で自分はこんなところにいるのだろうかという顔つきで、周りをきょろ
きょろと見渡していたが、縄張り争いをしていたことを思い出したようだ。

 竜は竜圧用の杖を持ったシンジを見て、先ほどまで戦った相手を見た。

 翼竜は自分が同種殺しをしてしまうところだったことに気づいた。止めてくれた少年
に向かって、頭を垂れた。翼竜にはそうしたことを理解できる知能がある。

 竜にそんなことをされてシンジも困ってしまう。「どういたしまして」と言いながら、
たはは、と笑ってみせた。

 笑ってごまかした感じがしないでもないが、その後も竜の紅くて大きな瞳に、ぎょろ
りと見られて、多少居心地が悪かった。

 いきなり食われたりすることもなさそうだ。

 どちらかと言うと、ゆっくりしていけ、と竜に言われている気がして、この辺は大物
の片鱗を見せるシンジだ。度胸があるのか、竜の前足の甲が座りやすそうだ、という理
由で座って、弁当など食い始める。竜の方も気にしていない。

「おーい! シンジー!」

 遠くで自分を呼ぶ声がする。それは聞きなれた少女の声だ。シンジは、はっと息を呑
む。食いかけていた弁当でむせる。

 おほおほとむせていると、現れたのがやはりアスカで、その少し後ろにはレイがいる。

「二人とも、なんでここに?」

 違和感がある。アスカとレイの服装が、見たことのない服だからだろう。

「お誕生日プレゼント、何がいいか聞きにきたの」

 無表情のまま、レイが言った。

「この世界にしかないものはダメよ。参考になんないからさ」

 あいかわらず、この幼馴染は何を言っているかわからない時があるな、とシンジは思 う。


   ■■■ ■■■ ■■■


「えー。竜のウロコ、もらっていいのー! やったー!」

 そう歓喜の声を上げつつ、アスカが気がつくと、プレゼントのインスピレーションを
受けに来たデパートの紳士服売り場に戻っている。

 竜圧士のシンジも、紅い瞳の竜もいない。

 きょろきょろと顔を動かすと、先ほどすれ違ったピカソの着ていた青い横縞のシャツ
を着た若い女性が少し先に見えた。

 自分の腕時計を見ると、このデパートに来たときから、あまり時間が経っていないよ
うだ。

「どういうこと? 竜圧士のシンジと結構話してたと思ったのに。あんまり時間が経っ
てないみたいだけど」

 竜のウロコも記念に一枚もらっている。ウロコは軽くて強靭で、剣で突いても傷がつ
かないので、あっちの世界ではお守りとして使われているそうだ。

 乙女が手にした針だけは通すのだとかいう、ファンタジックな参考情報も、あの世界
のシンジから聞かされている。

 アスカとしては、時間があまり経過していないことへの答えを期待して言ったわけで
はないのだが、綾波レイの方は違ったようだ。

「よその世界に行っても、戻ってくる時は必ずここよ。六月六日のこの時間。今、この
場所だからこそ別世界にいけるわけだもの」

「よくわからないけど、アンタがそう言うなら、そうなんでしょうね」

 よくわからないが使徒というのが来て、理由がわからないが人類が滅びると言われ、
なんで動くのかもわからないまま汎用人型決戦兵器に乗っていたのだ。

 今さら何を考えているかよくわからない友人の、よくわからない説明を聞いたところ
で、そういうものなんだろう、としかアスカには思えない。

 考えるべきところそこではないのだ。

「ってえ、ことはよ。色んな世界のシンジに会いに行けるってわけ?」

「そうなるわね」

「何が欲しいか聞いて回ることも可能なのね?」

「そのつもりでここにいるわ」

「じゃあ、参考になるような話を聞きにいきましょうよ。さっきの竜圧士のシンジは、
そういう意味じゃ、悪いけどあんまり参考にならなかったし」

 なんでもいいよ、と言われたって困るではないか。この世界のシンジが言った答えと
あまり変わらない。

「それとプレゼント代は同じ金額にしましょ」

「あなたのお財布の方が大きいとしても、別に私は気にしないわ」

「だって、アンタがいなかったら、別世界のシンジに会いにいけないわけでしょ。一人
で行ってもいいとこを、アタシも一緒に行ってるわけだからさ」

 そういう所で借りを作りたくないという気持ちもアスカにあるのだが、フェアであり
たいと、友達とは対等の関係でいたいというのが正直なところだ。

 たぶん実際にそう聞かれても、彼女自身は認めないだろうが。


   ■■■ ■■■ ■■■


「納得いかないわ」

 アスカは、その言葉どおり憤っている。

 彼女が手にしているのは携帯端末で、学校の時間割や、プライベートとネルフのスケ
ジュールを記録するのに用いている。

 今何をメモっているかというと、異世界のシンジたちのことだ。

 十八の別世界を回り、そこで出会ったシンジに聞いた欲しいもの、貰ったら嬉しい物
の>内訳は以下のとおり。


『いろんな世界の碇シンジ十八人へのアンケート』

Q:お誕生日に欲しいものはなんですか?

A:
・特に欲しいものはない        ……  九名
・貰えるならそれをありがたく貰う  ……  八名
・よくわからない            ……  一名

「ぜんっぜん、参考にならないわね」

 十八もの別世界に行っているというのに、明確な答えをするシンジにいまだ出会えて
いない。

 最初のうちは、別世界の珍しさと、違うシンジに会うという新鮮さで、無邪気にはし
ゃいだりしたアスカだったが、シンジの欲しいものに対する答えが無いと、段々意地に
なってくる。

「とりあえず、答えが出るまで、行くわよ」

 綾波レイも同意のようで、静かにうなずいた。


   ■■■ ■■■ ■■■


 この世界のシンジは玉座の上で、今日何度目かの、ため息をつく。

 肘をついて拳の上に頬づえをつく。天井を見上げるが、そこに答えが書いてあるわけ
でもない。

 アスカが不治の病に倒れて、もう一年以上が経つ。

 今は進行を遅くする薬があるとはいえ、最近のアスカは気持ちが沈みがちになり、天
井ばかり見上げて一日を過ごしている。今までの溌剌とした彼女とは大違いだ。

 それだけ気持ちが落ち込んでいるということだろう。シンジの声に答えることも少な
くなってきた。

 昔はまぶしいほどだった青い瞳も、シンジから見ても光が薄れてきているように見え
る。

 何とかしなければ。

 シンジはそう考えるが、いい考えなど浮かばない。

 彼自身の思考が煮詰まっているので、いい考えなど浮かぶはずがない。

 そんな自分に腹が立ってしかたがない。

 権力はあるし、財力だってある。なのに手に入れたいものがどうにもならない。なん
という皮肉だろうか。
 
 国一番の名医の話だと、アスカと同じ魂を持った人間が作った料理を、一口でも
アスカに食べさせることができれば、彼女は治るというのだ。

 そんな人間がこの世界にいるわけがない。同じ魂を持った人間といったら、それは本
人しかいないではないか。

 名医が言うには、本人が作ったのではダメだという。

 あまりに頭に来て、シンジは自分の権力のすべてを使って、名医の前歯を全部折って
やろうかと考えたが、それではただの八つ当たりだ。

 あとでバレたら、アスカに叱られるし罵られるかもしれない。

『そのくらい元気なアスカを目の前にしたら、僕は嬉しくって、泣きながら笑っちゃう
だろうな』とシンジは考えた。

 今の彼女は、感情の微かなゆらめきすら見せなくなっている。病気でいる自分に飽き
てきているのだろう。もしくは諦めはじめているのか。

 それではこの世界のシンジが困るのだ。わがままかもしれないが、彼女をわけのわか
らない病気なんかで失いたくはない。

 だからといって、どうにもならない。砂時計の砂粒がただ見続けるような、そんな無
駄としか思えない時間だけが、ただ過ぎてゆく。

 シンジは、ため息をついた。

 その時だ。大広間の扉が勢いよく開いたは。

「たのもー!」と元気よく現れたのは、この世界に来たばかりのアスカだ。

「アスカ、それは違うと思うの」

「じゃあ、なんて言えばいいのよ」

「ごめんなさい。こういう時、なんて言えばいいかわからないの」

「じゃあ、合ってるかどうかもわからないじゃん」

 言い合いながら広間に入ってきた二人の少女を見て、この世界のシンジは息を呑んだ。

 玉座から腰が浮きかけて、中腰のような姿勢になる。彼の意識は他のすべてを遮断し、
少女の顔に集中する。ちょうど望遠鏡を覗き込んだような視界だ。

 歓喜と驚愕が、彼の内側で、左右から精神を揺さぶっている。

 アスカじゃないか! いや、違うよね。本物は彼女の部屋で寝ているはずだ。それで
もアスカにそっくりだ。違う。瓜二つだ。双子だってここまで似ないよ。うわあ、見れ
ば見るほどアスカだアスカだ。これでアスカが治るかもしれない。あ、うん。この目の
前のアスカによく似たアスカじゃなくて、病床にふせっているアスカの方だよ。でも姿
が似てるからといって、魂まで同じとは限らないよね。そうだ。僕を叱ってもらおう。
それでわかる筈。

「アスカ!」

 シンジは目の前の少女の名を呼んだ。

 大広間で、玉座にいるシンジを見たアスカは、

『ははーん。この世界のシンジは王様らしいわね』と考えていたところに、いきなり名
前を呼ばれたものだから、びくっとしてしまう。

「な、なによ?」

「さあ、僕を罵ってよ。バカにしてよ!」

「はあ? アンタ、バカぁ!?」

 本物だ! とシンジは小躍りしそうになる。

 たぶん、この世界のシンジはバカだ。

 彼の評価はおいておくとして、シンジは目の前の幸運が信じられない。

 あとは彼女に料理を作ってもらえばいいのだ。

「君に頼みがあるんだ」

 この世界のシンジの考えが読めなくて、なんとなくアスカとレイは身を寄せ合う。

 アスカとレイから色々と失礼なことを考えられていると、このシンジは知らずに言う
のだ。

「料理を作ってくれないかな」

 少しの間が空いた。

「え、ええ。いいわよ」アスカは右手で自分の髪をいじりながら答えた。
「奇遇ね。アタシ、料理得意なんだけど」

「ホントに?」

 まあ、嘘はついていない。ただ得意な料理が限られるだけだ。レパートリーは一品し
かないが、上手く作れることにかわりはないのだから。

「ただし、食材として鮭と胡瓜が必要だけどね」


   ■■■ ■■■ ■■■


『いろんな世界の碇シンジ六十七人へのアンケート』

Q:お誕生日に欲しいものはなんですか?

A:
・特に欲しいものはない       …… 二十九名
・貰えるならそれをありがたく貰う ……  三十名
・よくわからない            ……   八名


   ■■■ ■■■ ■■■


「なんかぐったりするわね」

 デパートの屋上、アスカと綾波はベンチに腰掛けた。

 小さい子供向けの遊具があったり、屋上をぐるりと一周する小さい機関車がある。
それに乗った小さな子供たちの歓声が、あちこちで上がっている。

 それはさざ波に転がる鈴のようで、ちりちり、こんころこんころとアスカの耳に優し
く響く。

 昔は子供なんて絶対いらないと思っていたのに、今では『嫌ではない』程度には考え
が変わってきている。

「せっかくここまで頑張ったんだから、なんかこう、頑張った結果としてわかるような
感じが欲しいわね」

 紙パックのジュースを飲みながら、アスカは携帯端末の集計を見た。

『いろんな世界の碇シンジ百人へのアンケート』

Q:お誕生日に欲しいものはなんですか?

A:
・特に欲しいものはない       …… 四十一名
・貰えるならそれをありがたく貰う …… 四十七名
・よくわからない            ……  十二名

「ダメね。こんなに欲しいものがないなんて、予想外だったわ」

 結局、百人のシンジにアンケートは取ったのに、なんの具体的な答えも見つかってい
ない。

 シンジの誕生日は明日だというのに、なんなのだろうか、これは。

「おや、お二人さん」

 カヲルが現れた。

「どうしたんだい?」大きな箱を抱えている。

 疲れているところに、コミュニケーションこってり系男子が現れたので、アスカは
げんなりする。

 綾波が一言だけ返した。

「碇くんの誕生日プレゼントをリサーチしに来たの」

「ふーん。それは早く決まるといいね。そして早くシンジくんと会っておいた方がいい
よ。今日のシンジくんにね」

 含みのある言い方がアスカは気になった。

「どういうことよ」

「十六歳のシンジくんに会えるのは今日が最後ってことさ。明日になったら十七
歳のシンジくんになっちゃうわけだからね」

 あっ! っとアスカは心の中で叫んだ。確かにそうだ。そうしたところにプレミアム
感を感じないアスカだったが、言われるとなんとなく勿体無いような気がしてくるから
不思議だ。

 アスカは焦りを感じ始める。どうしようか。何をプレゼントすればいいのか。焦って
はダメだ。平常心であることが重要だ。シンジのシャツにも書いてある言葉だ。

 その瞬間、彼女は自分の脳内で何かが一瞬光った気がした。

「そうだわ!」アスカは勢いよく立ち上がった。

「どうしたの?」ベンチに座ったままの綾波が聞く。

「シャツよ。プレゼントはシャツにすればいいのよ!」

「どうして?」綾波が聞いた。

「なんとなくアイツのファッションセンスが気になってたのよね」

「個性的で素敵ってこと?」

「ううん。悪い意味よ。見慣れすぎてて皆平気になってるけど、『平常心』って高校生
が着るシャツとしては、ちょっとないわよね。漢字Tシャツって日本びいきの外国人が
着るやつじゃない」

 自分の国籍がまだアメリカであることを棚に上げて、シンジと外国人をまとめてバッ
サリと斬る。

「それに平常心って、心を落ち着けるなら、『明鏡止水』の方がかっこいいと思うのよ」

「そう。良かったわね」

「だからアタシはシンジへのプレゼントはTシャツにしようかなって思うの。アタシた
ちのセンスで選んだTシャツにね。だから、アンタもTシャツにしなさいよ」

 綾波レイには特にアイディアは無い。あったら最初からそれを買っているだろう。
それで二人は紳士服売り場へ移動することにした。

「うわ! 高級ブランドでもないのにTシャツが6800円もする!」

 などと、デパートの恐ろしさをアスカは垣間見る。

 買えない額ではないが、なんとなく納得できない額ではある。

 そこでアスカはまたしても閃く。もう少し早く閃いていれば、こんなに苦労しないで
済んだのだが、いろんなシンジが見られたのでよしとしよう。

 ああでもない、こうでもないとプレゼントに悩むのは楽しいものだ。悪い気はしない。

「普通のTシャツを買うのよ。それにアタシはこれを縫い付けるわ」

 取り出したのは、竜圧士のシンジから貰った。竜のウロコ。

「レイもどっかの世界で、勲章的なもの貰ったわよね」

 シンジが国王の世界で、アスカと綾波が貰ってきた刺繍で竜の紋章が描かれた
ワッペンがある。

「これを縫い付けたらさ、オリジナルTシャツができるってもんよ」

「世界に一つだけのプレゼント。いいわね」

「そうと決まれば、さっそくヒカリの家に行くわよ!」

 まだヒカリ本人がいいとも言っていないのに、ヒカリの家に二人は押しかけることに
した。

 なぜなら二人とも、家に裁縫道具が無かったので。

 竜のウロコを手にした時、かなりの硬さだと思ったが、乙女のアスが手にした針は
あっさりウロコに糸を通す。

 あんまり簡単なので、本当に竜のウロコなのかどうか、アスカが心配したほどだ。

 レイは恐ろしいほどの几帳面さで、ワッペンを縫い付けた。左右に一度の傾きもなく
きれいにTシャツに縫い付けられている。

 何度も針を指に刺してしまい、バンドエイドだらけの指をしたアスカと綾波だったが、ワッペンは それでも満足げに、葛城家への家路についた。

「ちょっと。アンタの家、こっちじゃないでしょ」

「十六歳最後の碇くん。見納め」

「言い方が今生の別れみたいになってるわよ!」

 そういうわけで、明日は碇シンジの誕生日だ。


   ■■■ ■■■ ■■■


「お誕生日おめでとう」

 そう言って、アスカとレイは、シンジにプレゼントを渡す。

「え! いいの?」

 二人からプレゼントを渡されたシンジは、心底驚いている。まるで貰えるなん
て期待していなかったかのように。

「あったりまえでしょ。だから渡したんじゃないの」

「ごめん。そうだよね」

『ああ。アタシってバカね』とアスカは考えている。

 もっと言い方というものがあるだろうに。それでもシンジは嬉しそうで、今回は泣く
ようなことがなくて、少しほっとした。

 いつものシンジで、いつもの二人の会話だ。この会話がずっと続いて欲しいような、
どこかのタイミングで変わって欲しいような。

 アスカ自身にもまだ掴みきれていない感情だ。

 たぶんどちらが正解、不正解というものではないからだろう。

 まあ、今回は素直にプレゼントを渡せたことで、よしとしよう。

 そう彼女は決めた。


   ■■■ ■■■ ■■■


 アスカと綾波からTシャツをプレゼントされてからというもの、シンジはTシャツを
大事にしまいこむようなことはなく、むしろ着まわす。恐ろしいほどのヘビーローテー
ションで着倒す勢いだ。

 今日アスカのTシャツを着たと思ったら、次の日はそれを洗濯しつつ、綾波のTシャ
ツを着る。次の日は綾波のTシャツを洗濯し、アスカのTシャツを着るの繰り返しだ。

 まるで二枚のTシャツを毎日交互に着るマシーンのように。

 それはそれで気恥ずかしいものがアスカにはあるが、それだけ気に入ってもらえ
て満足ではある。

 来年は、もう少し早くからプレゼントを考えておこうと思いながら。


(了)