碇シンジお誕生日記念SS
リツコさん大失敗:後編「愛は獰猛である」


 
コンフォートマンションの外に慌てて出たシンジが言った。

「な、何が起きているんだろう!」

「アタシにもわからないわよ!」

 大声で会話する二人だが、出勤や登校途中の人々は気にも留めない。
遅刻しそうで慌てた姉弟程度に考えているのだろう。

 唐突にアスカがしゃがみ込んだ。

「アスカ、大丈夫?」

「大丈夫よ。ちょっとつまづいただけだから」と、白衣のポケットに手を
入れながら、アスカは立ち上がると、真上を見上げた。つい一緒にシンジも
顔を上げると、視界には葛城家のベランダが入っている。

「珍しいね。アスカが転ぶなんて」

「タイムマシンを完成させるまで、研究ばっかりしてたからね」アスカは
シンジと目を合わさず、遠くを見ている。「とにかく、ここから一旦離れる
わよ!」

 今度はアスカがシンジの手を引いて、駐車場まで走る。

 ミサトの愛車、アルピーヌ・ルノーA310がそこにある。

「ラッキー♪ まさかミサトの車があるなんて」

「ミサトさん、昨日は二日酔いでさ、それで加持さんの車で本部に行ったん
だった」

 アスカは白衣のポケットからマイナスドライバーを出すと、おもむろに
運転席側の鍵穴に突っ込んだ。

 二、三度ガチャガチャと動かすと、ドアが開く。

「シンジは助手席に回って!」

 言われるままに乗り込むと、運転席に座ったアスカがハンドルの付け根の
辺りにドライバーを差し込んだところだった。

「シートベルト、忘れないでね!」

 カバーを外し、二本のコードを繋げると、エンジンがかかる。

 シフトレバーに手を乗せたアスカは、横に座るシンジを見た。

「シンジ、行くわよ」
 
「どこにって、うわ!」

 急発進によってかかるGで、シンジは背後のシートに押し付けられた。

「ここじゃない、どこかよ!」

 嬉しそうにアスカが言った。

「そして、アンタが生き続ける世界へ!」


   ■■■ ■■■ ■■■


 アルピーヌは、街の大通りに出ると、青い稲妻のような速度でジグザグに
車線変更を繰り返す。周囲の車を次々と追い抜いたあたりで、ようやく法定
速度に戻った。

「ここまで来れば、ひとまず大丈夫かしらね」

 歌うように、そう言ったアスカの横顔を見ながら、シンジはおずおずと聞
く。

「僕が死ぬって、どういうこと?」

「今日って、二○十六年の六月五日よね」

「そうだよ」

 明日は自分の誕生日でもある。こんな事さえなければ、明日のためにケー
キを作る材料を買いに行く予定だったのに。

 アスカ、僕の誕生日覚えてくれてるかな。

「急に言っても信じられないかもしれないけどさ。アタシのいる未来じゃ、
アンタ今日死ぬのよ」

 今日死ぬ、と言われてもシンジは、ぴんと来ない。『あの頃』、使徒と
戦っていた時は、そんな感覚がもっと身近だった気もする。

 それが昨日から今日にかけて、いったいシンジとアスカに何が起きている
のだろうか。昨日のことだけならまだ説明がつく。エヴァや赤木リツコに
関われば、非日常的なことは今までも幾つもあったし、今後もあるだろう。

 そうなったところで、シンジが、もしくはシンジとアスカで対処していけ
ばいい。

 それが今日はどうだろう。タイムパトロール? 自分が死ぬ?

 まったく意味がわからない。

 それでも、二つわかっていることがあるとすれば。

 自分が死なないようにすること、と。

 現在のアスカを元に戻すことだ。

 そこまで考えて、シンジは助手席のシートに体をもたれた。

 何ができるかわからないけど、最後までやろう。

 そこまでシンジが考えたところで、別に彼の思考を読んだわけではないだ
ろうが、アスカが口を開いた。

「もしよ、このアタシが来なかったら、今日の予定はなんだったの?」

「学校に行って、それから放課後になったら、ケーキを作ろうと思ってた」

 アスカの瞳がキラリと光る。

「それよ、それ! それだわ!」

 よほど興奮しているらしく、運転席で彼女は何度も跳ねている。

「何が?」

「アンタのそれって、死亡フラグじゃん」

「死亡フラグ? って何」

「そんなことも知らないで、よく今まで生きて来れたわね」

 アスカは左手の人差し指を立てた。自分の話に注目せよ、ということらし
い。

「死亡フラグってのは、あることを言ったり、したりすることが、死に結び
つくものよ。例えば、『俺、この戦争が終わったら結婚するんだ』って言っ
た兵士は必ず死ぬし、推理小説なんかだと『犯人がいるかもしれない部屋に
いられるか。俺は自分の部屋に帰る』っていうと次の犠牲者になるとかね」

「それが僕が死ぬ原因ってこと?」

「そうよ。きっとそうだわ。たぶん、アンタは学校で鈴原か相田に、そんな
こと言うのよ。『学校終わったら、僕、ケーキを作るんだ』ってね」

「じゃ、どうするの?」

「簡単じゃな〜い」アスカはニヤリとした。「学校に行かなきゃいいのよ。
そうすれば、放課後の予定を聞かれることもないから、死亡フラグも立たな
いって寸法よね。今日はこのままドライブし続けるわ。日付が変わるまでね」


   ■■■ ■■■ ■■■


 ニ○十六年の六月六日まで、あと三十分。

 二人は夜の海に来ていた。ここまで、二人は当たりさわりのない話しか
しなかった。

 今日から未来までの話をアスカからこれ以上聞いてしまえば、さらに
未来が変わる可能性がある。それなら、聞かないのが一番だ。

 そしてなにより、大人になったアスカに接すること自体が、シンジには
なんとなく恥ずかしかったのだ。

 二人並んでアルピーヌのボンネットに腰かけている。

 見える世界は、海と夜ばかりで、その二つがどこで交わるのか、今の
シンジには、はっきりとしない。

 先ほど買った缶コーヒーをそれぞれ手にし、シンジとアスカは黙った
まま、波の砕ける音を聞き、時間の過ぎゆく音を聞いている。 

 不思議と、シンジは沈黙を苦痛に感じなかった。現在のアスカと同じ状況
になると、彼女が退屈していないか、怒っていないか、もしくはお腹でも痛
いのかと不安でしかたなかったが、未来のアスカといると、それがない。

 これが大人の距離感ってやつか、とシンジは考えた。自分の隣にいるのが
当たり前の存在で、それでいて何がしかの温度を感じられる人。

 話をしなくても、時間を共有できる人。

 それらを満たす間柄が、大人の距離感で、そこにヤマアラシだかハリネズ
ミだかが入り込む隙間はない。

 もう少しだけこのままでいたかったが、そろそろ未来が変わるというのな
ら、シンジはアスカに聞かなかればならないことがある。

 現在のアスカを取り戻すためなのだ。何かを得るために手を伸ばすと、別
の何かがこぼれ落ちる時がある。今もその時だったのかもしれない。

 少しだけ寂しさを感じるが、聞かなければならなかった。

「ねえ」

 呼ばれたアスカは風で乱れた髪を指先ですくうと、今日何度目かの微笑を
見せ、優しく答える。

「なに?」

「今のアスカはさ、僕が余計なこと考えたせいで変わったアスカじゃない
よね」

 アスカはすぐには答えず、海に顔を戻した。それから口を開く。

「どこで気づいたの?」

「うん……。タイムパトロールの人が、『あなたを過去改変の容疑で逮捕し
ます』って言ったときかな」

「そんなことで……。あ、そっか」

「『あなた』って、おかしいよね。普通はあなた方の筈だよ。アスカと僕で
二人の筈なんだ」

「でも、それだけじゃ……」

「過去改変っていうのも、変な話だよね。僕が容疑者なら、未来改変になる
はずだし。どうやって過去に来たのかはわからないけどさ」

「タイムパトロール隊がいるくらいなのよ。タイムマシンで来たに決まって
んじゃない」

 当たり前のように言われて、シンジはそういうもんかと納得するしか
なかった。

 昨日から色々なことがありすぎて、これ以上、何があっても驚かないで
済む自信があった。これが平常心か、とシンジは考えた。

「よくタイムマシンなんて作れたね」

「最初の数年は試行錯誤の繰り返しだったわよ。それでつい最近、アタシの
時間軸でつい最近ってことだけど、思いついたのよ。
 やってみたら、なんでこんな簡単なこと、思いつかなかったんだろうって
くらいな話よね。ホントにあれは、コロンブスの卵だったわ」

「どうやったの?」

「長老のチョップよ」

「え?」何を言われたのか理解できなかった。

「技術課に長老って呼ばれてるお爺さんいるじゃない。あの人のところに
失敗したタイムマシンを持っていって。ななめ四十五度の角度からチョップ
してもらったの」

「そんなバカな」

「ホントよ。実際は『失敗作』なんだけどさ。動かないってことは、
『壊れている』ってことでもあると思ったのよ。ダメ元で長老に『壊れてる
から直して』って頼んでみたら、あっさりと完成よ。言い方一つで違うもん
なのね〜。でもさ」

 アスカが何かを言いかけ、そこで止まったので、シンジは彼女にをまじ
まじと見る。

「そんな最初の方で気づいてて、なんでもっと早く聞かなかったの?」

「今日死ぬはずの僕を助けるために何年も頑張ってくれたんでしょ。
 だったらさ、僕でいいなら、一緒に一日いたかったんだ」

「あら。嬉しいこと、言ってくれるじゃない」

 アスカはシンジの頭をくしゃくしゃなでた。この辺はどんなアスカになっ
ても変わらないものなのか。

 彼女がしたいようにさせながら、今度はシンジが海に顔を向ける番だった。 

「だってさ……。日付が変わったら……」

 君は、いなくなる。

 最後までは言えなかった。頬の内側が酸っぱくなったように感じたからだ。
悲しくて泪が出る寸前の生理現象だろうが、そのまま口を開いていたら、
本当に泣いてしまいそうだった。

 日付が変わり、このまま六月六日になれば、六月五日に死ぬはずだった
シンジの未来は変わる。

 死んだシンジがいない以上、彼を助けるために未来から来るアスカは存在
しなくなるはずだ。

 そうなったら、そうなったで、違う未来のアスカがいるのだろう。理屈で
はわかっていても、彼の感情が理解することを拒否してしまう。

 何年も何年も、自分の為に時間を費やしてくれた彼女が消えてしまう?

 それがシンジには認めたくない事実だった。

 今、泣いてしまうのは違うと思った。アスカの為にも、泣いてはいけない
と思った。

「僕を、助けるために」

 いても立ってもいられなくなった彼は、ボンネットから地面におりる。

「ここまでアスカは来てくれたっていうのに!」

 シンジの語気が珍しく強まった。泣くのをこらえるためだったし、何もで
きない自分に対して怒っていたのだ。

「僕はただ、一緒にいるだけしかできなくて!」

 この怒りの矛先を、自分のどこに向ければいいのか、わからない。

 立ち尽くし、強く握られた拳をふるわせるシンジを見て、アスカは困った
ように、くすぐったいように笑った。

 ここまで来られて、本当に良かったと彼女は考えた。シンジを困らせる
気はまったく無かった。ただ、それでも自分のことをこんなに考え、悲しん
でくれるとは思っていなかった。

 彼の姿をもう一度見ることができて良かった。誰かが近くにいたら、そい
つの肩をつかんで、いかにシンジが素晴らしいかを自分のことのように自慢
したい気分だった。

 そんな彼女の心情を知るすべが無いシンジは一歩、アスカに詰め寄った。

「なんで笑ってられるの!? あ、ごめん」

 つい語調が強くなってしまったが、そのことについてはすぐに彼は謝る。

「やっぱりアンタ、バカシンジね。アタシだって、そんなこと百も承知よ」

 口を開けば泣いてしまいそうで、シンジは顔を少し上げ、こっそり歯を
食いしばった。

「それでも、アタシはアンタに生きて欲しかった。このアタシがいる未来を
見て欲しかった。
 あっちは平和で、まだまだ文明的とは言いがたいとこも沢山あるけど。皆、
毎日幸せに暮らしてるとこを見せたかった。
 アンタとアタシと、レイとかミサトとか、皆で守った未来をね」

 うつむくシンジの頭に手をやろうとしたアスカだったが、ボンネットに
座ったままでは、微妙に脳天に手が届かない。

 シンジって、こんなに大きかったのね。記憶の中で出てくるシンジは、
もっと小さく細い印象だったのに。

 立ち上がり、シンジの頭をよしよしとなでた。

「泣きたいときは、泣いていいのよ。一人のときか、涙をぬぐってくれる
人がそばにいるときはね」

 優しい動作で彼の額を自分の肩に導く。棒立ちのまま、シンジはされるが
まま、嗚咽をもらした。

 ああ。シンジがアタシのために泣くなんて、とアスカは考えた。シンジが
悲しんでくれてる。コイツの姿がもう一度見られたんだから、アタシは十分
すぎるほど報われたわ。

 うん。満足できた。

 だけど、あえて一つ不満なことがあるとすれば。

 六月六日になった時、この気持ちが残らないことね。

 ま、いっか。

 あとは時の過ぎゆくままに任せようとアスカが決めた、そのとき、

 あたりがまばゆく輝いた。

 あふれるばかりの光が、二人がいる一帯を照らしたせいで、夏の炎天下の
白い路上のように明るくなる。

 その光は二、三秒でおさまると、発光源には銀色の白鳥のようなフォルム
の機体が一機、着陸している。

 白鳥の胴体にあたる部分が開くと、中から見覚えのある奇特なファッショ
ンをした三人組が現れた。
 

   ■■■ ■■■ ■■■

「シンジ」

 とんとんと肩を叩かれ、シンジが顔を上げると、アスカの赤い髪の向こう
に、銀色のスーツを着たタイムパトロール隊員が見えた。光線銃を持ってい
る。

 シンジが手の甲で涙をぬぐっていると、アスカは素早く位置を移動し、
彼をかばうように前に立った。

「アスカこそ、僕の後ろに」

 と、言ったシンジを片手でおさえ、白衣のポケットから、アスカは素早く
光線銃を出す。

 コンフォートマンションを出たとき、彼女がしゃがみこんだのは、銃を
拾うためだったようだ。

 抜け目ないんだな、とシンジは考えた。

「そこまでです。ラングレー博士」

 タイムパトロール隊員たちは、光線銃を向けながら、じりじりとシンジと
アスカに近づいてくる。

「なによ、いいとこで。よくまあネルフの護衛を振り切れたわね」

 三人の真ん中に位置する隊長格の女性が、口元を曲げた。

「いくら彼らの体術が我々より上だとしても、時間を自由に行き来できる分
こちらが有利ですのでね。大人しく、こちらに来てください。ラングレー
博士」

「ふん。立ちふさがる壁は、登るもんでも避けるもんでもないわ。ぶっ壊し
ていくもんなのよ。面白いじゃない。やろうってんなら、徹底的にやってや
ろうじゃないの」

 タイムパトロール隊の三人と、アスカは銃を向け合っている。

「これ以上、無意味な行動は避けていただけますか。碇シンジ氏は助かって
はいけない存在です」

 そう言って、隊長格の女性は腕時計に目をやる。

「ニ○十六年の六月五日が終わるまで、あと十五分あります。それだけあれ
ば、まだ彼が死ぬ可能性は十分にある」

 シンジを背後にかばうように立ち、アスカが叫んだ。

「なんでよ! なんでシンジが死ぬことにそんなにこだわるの!?」

「あなたは、碇シンジ氏の命を救うため、タイムマシンを発明された」

「ほとんど長老のおかげだけど」と、アスカが自嘲気味に小声で言う。

「しかし、何度過去に戻ってやり直しても、彼を救うことができないあなた
は、その後も彼を救うべく、幾つもの発明をすることになる」

「それもたぶん、ほとんど長老のおかげでしょうね」と、アスカが小声で
言う。

「そのおかげでどれだけ人類が進歩したか、ご理解されていますか?
 彼は助かってはいけない存在なのです。人類の未来のために」

「ふざけないでよ! 人類の未来? そんなのアタシには関係ないわ。
アタシが欲しいのは、シンジと生きる時間なのよ」

 その場の誰もが動かなかった。時間が止まったかのように思えたが、波が
砕けて泡になる音が、そうではないことを証明している。 

「アタシが、この何年間をどんな思いで過ごしてきたか、アンタたちにはわ
からないでしょ。
 シンジがどんな思いでエヴァに乗ってたかわかる? 怖い目や悲しい目に
あって、痛い思いを沢山して、それでも一度は人類を救ったんじゃない。
 もう一回人類を救えって? 死んでまで? 冗談じゃないわ!」

 あー。これはマズい。泣きそうだ、僕。そこまでアスカに思ってもらえる
なんて。

「どうしてもアタシの邪魔をするなら。もしアンタたちがシンジを死なせ
るってんなら、それを覚えておくわ。そんで今度は人類に災いするもん発明
したっていいのよ!」

 なんとかならないかとシンジは考えた。

 この状況をなんとかするために、いい考えはないものかと、夜空を見上げ
た。無数の星たちがシンジたちのことなどおかまいなしに瞬いている。

 その一つが強く瞬いた気がしたが、それはシンジの脳内で閃いた電気信号
だ。

 脳内で、閃いたことを再確認し、シンジは小さくうなずいた。

 うん。問題ない。

「あの、ちょっといいですか」と、アスカの背後から、彼女の前に出る。
まるでセカンドインパクト以前のアメリカのテレビドラマで人気のあった
名刑事のように額を指でかきながら。

「ちょっ。シンジ、危ないからアタシの後ろにいなさい」

 慌てふためくアスカに振り返りらず、口を開いた。

「大丈夫さ。タイムパトロールの人たちは、僕を撃てない。ましてや、
未来のために殺すこともね」

 タイムパトロール隊員たちが未来から来たと言うなら、シンジを殺すこと
は過去改変になるからだ。

「だからって……」

 アスカが言い募ろうとするのを、シンジは自分の言葉で止める。

「アスカのことも撃てない。当然さ。アスカが死んだら、誰が人類の進歩を
助ける発明をするのさ」

 彼がこれから行おうとするのは、一世一代の大芝居。自信満々に演じなけ
ればならない。

 よく考えれば、穴だらけの芝居だが、そこはハッタリで押し通すしか
ない。

「あなた方、タイムパトロール隊って、このアスカよりずっと未来から来た
んですよね」

 あまりに危機感がなくシンジが近づくので、隊長は固まったまま、答えて
しまう。

「そうです。惣流・アスカ・ラングレー女史がタイムマシンを発明した時か
ら数十年後の世界です」

「じゃあ、それをまあ、これから死んじゃうかもしれない僕はいいとしても、
ですよ? アスカに話しちゃっていいんですか?」

 三人のタイムパトロール隊員は、同時に同じことを口にした。

「「「あ!」」」

「まあ、お互いさまってことにしませんか。僕もアスカもこのこと、誰にも
言いませんし。ね、アスカ」

「ええ」シンジの考えを理解したアスカが、ニンマリと笑う。「約束するわ」

「たぶん、僕が生きてても、彼女は人類に貢献する発明をすることでしょう
し。ね、アスカ」

「ええ、ええ」アスカはくっくっく、と悪い感じで笑う。「約束するわ」

 長老がね、と彼女がひそめた声で言うのをシンジは目で制した。

 その後、トリックを解き明かし、犯人を名指しした直後の名刑事のような
仕種で、言った。

「何か反論は?」

 ギリ。

 と、女性の隊長が歯を食いしばる。

「い、いいでしょう。この件は不問にします。戻りますよ」

 銃はシンジとアスカに構えたまま、三人のタイムパトロール隊員は後ずさ
る。

「ほら、忘れ物よ!」

 アスカが、手にしていた光線銃を放り投げた。

 隊長の足元に落ちた銀色の物体を、拾い上げ、そのまま背後のタイムマシ
ンに乗り込んだ。

 数十秒後、タイムマシンはまばゆく輝いた。

 発した大量の光が、あたりを照らしたせいで、タイムマシンの周辺は夏の
炎天下の白い路上のように明るくなる。

 その光は二、三秒でおさまると、夜は再び暗さを取り戻し、空の星は相変
わらず、シンジたちのことなどおかまいなしに瞬いている。

 ふう。とシンジは息を吐き出した。やればなんとかなるもんだね、と。

 アスカに目をやると、彼女は肩をすくめて一言。

「六日まで、あと数分ね」


   ■■■ ■■■ ■■■


「うん。そうだね……」

 いろいろと彼女に言いたいことがあるのに、何から言えばいいのかわから
ない。

 先に口を開いたのはアスカだった。

「シンジ。お願いだから、体に気をつけて。事故にも気をつけてね。アンタ
が死んで、今日までのアタシは半分死んだようなもんだったから」

 そこまで言ったアスカは、左手をそっとシンジの頬にあて、彼の左頬に
キスをする。長い長いキスをする。そっと唇をはなすと、ぷちゅっ、と音を
立てつつ、彼の頬にキスをする。何度も何度もキスをする。まるで失われた
何年分かの時間を取り戻すように。

 突然の出来事に、シンジはアシカのように「お、お、お」という声しか出
てこない。

 ようやく離れたアスカはイタズラっぽく笑って、言った。

「唇にしてもいいけど、二十四歳のアタシとちゃんとしたキスをするのは、
二十四歳のアンタとがいいから。ううん。二十四歳のアンタだけがいいの」

 ここまで情熱的なキスをした癖に、なぜかモジモジしている。

「それでさ……。最後にアタシのこと、ぎゅってしてくんない?」

「ええっ!」シンジは驚いた。

 アスカは恥ずかしそうな顔でいる。自分を上目遣いで見ている彼女を見て、
シンジは唾を飲み込んだ。そして覚悟を決めた。

「い、いいよ」

 そっと近づき、アスカの体に両腕を伸ばす。片腕は肩の上から、もう一方
は体の横から、彼女も同じように腕を回してくる。お互いの肩と肩がくっつ
きあう。アスカは少し体を動かし、シンジの肩に自分の頭を乗せた。

 そこで彼女は、深いため息をついた。人が眠りにつく直前にするような、
深い深いため息を。

「ぎゅってされるのって、いいもんなのね。こんなことなら、もっと昔から
素直になっとくんだったわ」

 アスカの声は波の音に乗り、シンジの耳に届いているが、彼はいっぱい
いっぱいの精神状態である。

 名残りおしそうに、アスカはおずおずとシンジから離れた。

「もうそろそろ時間ね……」

 アスカが腕時計を見るので、シンジも同じように自分の腕時計に目をやっ
た。

 六月六日まで、

 あと十ニ秒。シンジは「アスカに会えて嬉しかった。ありがとう」と言う。

 あと九秒。シンジは彼女の微笑みをみつめ、泣きそうな顔で笑顔を返す。

 あと八秒。アスカは思い出したように口を開いた。

「そうだ、シンジ。ちょっと早いけど。十六歳の誕生日、おめでとう」

「ありがとう。アスカ」

「どういたしま……」

 そこで、アスカは霧のように消えていなくなる。 

 ほんの今までいたはずなのに。その場に彼女がいた痕跡は、潮風にまぎれ
た彼女の香りだけだ。

「あ、ありがとう……。アスカ……」

 泣いちゃダメだ。泣いちゃダメだ。と心で何度も繰り返したが、あふれる
涙を止めるすべを、十六歳の彼はまだ知らなかった。


   ■■■ ■■■ ■■■


 どれだけ泣いたろうか。

 立ちつくすシンジの背中をアルピーヌのクラクションが二度、軽く叩いた。

 そちらに目をやると、青い外車の運転席に、大人のアスカが座っている。

 一瞬、混乱したシンジだったが、少し落ち着いて考えればわかることだ。

 彼女はタイムマシンで未来から来たアスカではなく、起動実験で今の
アスカと入れ替わった未来のアスカだ。

 その彼女は、ウインドウを開けたドアに肘をのせ、シンジの方を見ようと
もしない。

 涙を拭いたシンジは、車へと近づいた。

「アスカ……」

「さよならはちゃんと言えたの?」 

「え? うん……」

 なんでアスカが知ってるんだろう、とシンジには不思議だった。

「別に気づいたらミサトの家にいて、アンタとさっきのアタシが二人で
マンション飛び出して、車で一日逃避行してるから気になって尾行してた
わけじゃないわよ」

「ああ。うん。そうだよね」そういうことにしておこうと、シンジは考えた。

「だけど、黙って見てたら、キスされるわ、抱きしめるわ。別のアタシとは
いえ、浮気されてる気分だったわよ」

「えーと」ごめんと言いかけて、やっぱり言わないことにした。

 消えたアスカもアスカなのだ。謝ってはいけない気がした。

 なぜ浮気だと、責められなければいけないのかという理由も、聞かないこ
とにする。

「まあ、いいわ。こんなことでケンカしてもしょうがないし」

 そう言って、アスカは助手席のドアを親指でしめす。

「ネルフに戻るわよ。リツコから呼び出し。アタシ、未来に帰れるらしいわ」

 まだ怒っているのかと、シンジは心配しながらアルピーヌに乗り込んだ。

 そっとドアをしめ、静かにシートベルトをしめたところで、運転席の
アスカがコホンと咳払いをした。

「シンジ」

 顔を向けると、アスカも彼を見ている。

「お誕生日おめでとう」

 月明かりで、彼女の頬が赤く染まっているのを、かろうじてシンジは見る
ことができた。

「うん。ありがとう」


   ■■■ ■■■ ■■■


 ネルフに戻ると、違う意味で顔を赤くしたミサトに散々怒られた。

 護衛を振り切ってアスカといなくなるとは何事かと。

 どうやら、シンジの死んだ未来から来たアスカも、タイムパトロール隊も、
来ていない世界になっているようだ。

 彼女の存在を覚えているのは、シンジだけのようだった。

 ひとしきり説教を終えると、二人は実験場に連れていかれた。

 今から彼女を未来に戻し、未来から現在のアスカを戻す作業が、これから
始まるらしい。

 実験場でプラグに乗り込む直前、アスカは自分の傍らに立つシンジを指を
動かして呼ぶ。

「シンジ。ちょっと」

 素直に歩み寄ると、彼女は少し彼に顔を近づけると、ささやいた。

「いーい? 未来のアタシがアンタのこと、その、す、すす好きになるかも
しれないってのは、ま、まだ未確定だからね。
 大丈夫だなんて安心して、アンタが努力しなかったら、十五歳のアタシは、
アンタのこと、み、見限るかもよ」

 それは困る、とシンジは思ったので、何度も首を縦にふる。

「うん。うん。頑張るよ」

「しっかりしなさいよ。アンタのせいで、こっちはアル中になるわ、太らさ
れるわ、あげくにアンタが死んで髪ボサボサのマッドサイエンティストなん
て、二度とゴメンだわ」

 シンジは驚いて、のけぞった。

「なんで? なんで、今のアスカがそれを……」

「ホントにバカね。どのアタシも全部、アタシなのよ」

 アスカは己の存在をシンジに意識させるように、自分の胸の真ん中に手を
当てた。

「アンタが生き続ける世界で時間軸が一つになったんだから、全部のアタシ
が今のアタシなのよ。未来から来たときからね」

「そうなんだ」

「そうよ。タイムマシンの作り方だって」 アスカはニヤリと笑い、自分の
こめかみを指でつついてみせた。「バッチリここに入っているわ」

「本当に?」

「なによ。疑うの。アンタ、ちゃんと長老をいたわりなさいよ。あの人が
タイムマシン完成の、キーパーソンなんだから」

 シンジは驚いて、息を吸い込んだ。時間が止まったかと思ったが、そんな
わけはない。

 おお。本当だ。と思って嬉しくなった。

 あの時のアスカは消えたけど、今のアスカにあの時のアスカがちゃんと
いるんだ。

 シンジは強く、激しく、うなずいた。

 そして二人は、秘密を共有する者の常で、同時にニヤリとし、その後、
笑顔をかわす。

「それにしても、まったくアタシの人生、どんだけアンタに影響、受けて
んの! って話よね!」

「そうなんだ」

 たぶん、彼女は自分の言葉がどういう意味を持つか気づいていないが、
気づいたシンジは赤面した。


   ■■■ ■■■ ■■■


 六月六日、午後二十三時。

 昨晩、未来と現在のアスカを元に戻す作業は成功していたが、その後の
体調チェックのため、アスカはネルフに残された。

 シンジは一日、自宅待機を命ぜられている。

 空気がもれる時に似た、玄関が開く音がする。

「ただいま〜」

 アスカの声に、それまでキッチンで所在なげに座っていたシンジは、玄関
へと走る。

「おか、おかえり〜」安堵したからか、ついどもってしまう。

 何日か前にも同じようなシーンがあった気がするが、帰宅したのは
『今の』十五歳のアスカである。

「あー。疲れた。ホント、もうカンベンしてほしいもんだわ。リツコも何回
おんなじチェックすれば気が済むのかしら」

「おつかれさま。お腹すいてない? 簡単なものだけど、用意してあるよ?」

 シンジの言葉に、アスカは腕時計に目をやることもなくうなずいた。

「ホント? 食べる食べる〜」

 それまでの疲れた顔が、途端にいつもの溌剌としたものになる。

「じゃ、あっため直すね」

 良かった。今のアスカが帰ってきたんだ。嬉しくて口元をゆるめながら
キッチンに戻りかけたシンジを、アスカが呼んだ。

「シンジ!」

 その声に、シンジは立ち止まり、彼女の顔を見る。アスカの顔が赤い。
髪の色よりも赤くなっている。

「あの、その、こんなことになっちゃったからプレゼント用意してないんだ
けどさ……」

 それを聞いて、シンジの心拍数が高鳴った。

「うん……」

 二人とも、なぜかあらぬ方を向いてしまう。それでも相手の顔をちらちら
と見てしまうのを止められない。

 一回、息を吐き出したアスカは、大きく息を吸い込み、一気に声を出す。

「お、おおお、お誕生日おめでとう!」

 すごいや。同じ女の子から、三回も誕生日を祝われたのは、世界中探して
も、たぶん、僕だけだろうな。

 そう考えて、シンジは言った。

「ありがとう」

「あ、明日にでも……。そうよ! どうせアンタのことだから、今日は誰に
も祝ってもらってないだろうから。
 アンタが、かわいそうだから、優しいアタシが仕方なく! 
 明日、起きたらプレゼント買いに行ってあげるわ!!」

 シンジは吹きだした。

「ぷふっ。アスカ。それ、死亡フラグだよ」

「へ? なんのこと?」

「ご飯、食べちゃおう。その時に話すよ」

 死亡フラグって言葉の意味、アスカから教わった僕が、アスカに教えるの
か。

 そう思うと、シンジはなんだかおかしかった。


   ■■■ ■■■ ■■■


 夜食を二人でとりつつ、死亡フラグの説明をシンジがすると、今度は彼が
疑問を口にする番になる。

「どうやって未来のアスカは、リツコさんに未来から来たって説明したんだ
ろう」

「簡単じゃな〜い」なぜかアスカは得意げだ。

「アタシが未来に行ったってことは、そこに未来のアンタがいるわけでしょ。
未来のアタシは、未来のアンタにどうやってリツコを言いくるめて帰って
来たか聞いてるわけよ。なんたって、一回過去に行ってるわけだから。
 それを聞いたアタシはその時までそれを覚えてて、リツコに碇しれ……。
えーと。まあ、リツコが好きな男と! どうやったら今よりもっといい関係
になれるか教える代わりにうまいこと未来に返してもらうのよ。それで
アタシは、っていっても今のアタシじゃなくて、未来のアタシのことなんだ
けど……」

 何を言っているのかさっぱりわからなかったが、シンジはそれで納得する
ことにした。

 未来の二人の問題は、未来の二人が解決すればいい話だし、今のシンジと
アスカの問題は、今の二人が解決すればいい話なのだ。

 いつのまにか、アスカの話は未来に行ったときの話になっている。

「そこでアタシは未来のアンタに訊いたわけ。それなのに、未来のアンタっ
たら、相変わらず頑固っていうか、生真面目っていうか。かたくなに言おう
としないのよ。そういうのは先に知るのは良くない、とかでさ」

「何の話を訊いたの?」

「うぐ」と、アスカは固まったが、すぐに再起動する。「大事な話よ」

「ふーん。そうなんだ」シンジはまったくわかっていない。

 わかるようなら、彼と彼女の関係はすぐにでも違うものになったのだろう
が、それにはもう少し時間がかかる。

「おもねりおねだりしてさ〜。最終的に、ようやく口を割らせたわよ」

「良かったね、アスカ」

 何気なく言ったシンジの言葉に、アスカはきつい口調で言い返す。

「ちっとも良くないわよ!」

 おもむろにアスカは、席を立つ。彼女の剣幕に驚いているシンジまでのし
のし歩くと、彼のシャツの襟をつかむ。

 そのままアスカは腕に力を込め、シンジの顔を自分の顔に近づけた。大人
のアスカには昨日似たようなことをされたが、今のアスカにそうされるのは
慣れていないので、シンジはされるがままだ。

「あと一年も待たされるなんて、たまったもんじゃないわ!」

 シンジの首の後ろあたりに空いた方の手をかける。彼女の青い瞳が、
らんらんと輝いている。

「こうなりゃアタシの方からぜんぶ奪っ#$%&@=〜!」

 ええ〜! どういうこと〜? それと最後の方なに言ってるかわから ないよ?
 こっちに向けて口を開けてるってことは、僕を齧ろうとしてない?
 もしかして、僕が死ぬのって、今日だったんじゃないの?

 とまでシンジは考えたが、彼の思考はそこで止まり、それ以上何かを考え
ることができない。ちょうど肉食獣に捕まった小動物と同じ状態だ。

 あやうく記憶が飛びかけて、そのせいで彼女のセリフの前半分は完全に
忘れ去られている。

 彼女の唇が、シンジの唇に触れようとしたその時。

 まるでそれまでの二人を見張っていたかのようなタイミングで、家の電話
が彼女の邪魔をする。

 動きを止めたアスカを刺激しないよう、ゆっくりと電話へ移動する
シンジは、助かったような、残念なような感覚でいた。

 未来のことは誰も知るべきではないが、せっかくなので、少しだけ
ばらしてしまうことにする。

 アスカは未来のシンジから、一年後と聞かされたようだが、実際のところ。

 この夜の、彼女の剣幕にビビったシンジが、勇気を出すのにはニ年かかっ
てしまうことになる。

 ことほどさように、未来のことは誰も知らない方が良いのである。


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 蛇足のような気もするが、話はもう少しだけ続く。

 六月七日、諜報部の報告より。

『第三新東京市の隣町の小さな書店で、変装した赤木リツコ博士が、

「アメリカンジョーク百連発」および、
「パーティでジョークが言えなくて、困ったことはありませんか?
 ま、まさかボブ、それって!? そう、そのまさかだよ。スティーブン。
 コレさえあれば、小粋なジョークでパーティが盛り上がること
 間違いなしさ、なジョーク集」

 の二冊を購入。

 報告書を読んだゲンドウが、リツコとの付き合い方にジョークを交えるよ
うになる。

 赤木博士は否定するかもしれないが、当初の目論見は達成できたようだ。


(了)