この奇妙な獣のことは最初、欺くように何気なく語られる。
『狂えるオルランド』
兄弟姉妹で、こうも違いがあるものかと親が驚くことがある。
たとえば碇家の場合。
シンジとアスカの息子であるタクトはいつもニコニコしている。一人で座って
いるときでも、ははははハイスピードで家の中を高速移動しているときでも。
シンジやアスカに抱っこされているときは特に。
それはピカピカと輝く笑顔なものだから、外に連れていくと目立つらしく、周
りから手を振られたり、かわいいといわれて、それがアスカやシンジはとても誇
らしい。
タクトは、とにかく人見知りするということがない。
誰に会っても、ニコニコしている。
さらには誰に抱っこされても嫌がることがない。まあそれでも傍にいるアスカ
かシンジに顔を向けはする。そして、くすぐったそうに彼は、うふふうふふと
はにかんだように笑うのだ。
微笑ましい光景ではあるが、愛想がよすぎるのではないかと母であるアスカは
無用な心配をするときもある。
ひどいのがミサトで、抱っこしてはじめのうちは、
「あのシンちゃんとアスカが人の親になるなんてね〜」
としみじみと話していたのだが、それが段々と調子にのるというか、感極まると
いうか、テンションが上がってくると、赤ん坊の額に鼻を押し付け、匂いを嗅ぎ
だす。
シンジとアスカは、うわあ、と驚いたが、当のタクトは全く動じることなく、
静かに目を閉じてされるがままだし、嫌がらない。むしろ宗教画に描かれた天使
のような微笑みを、口元に浮かべている。
その時は、アスカがタクトをさっと取り返したのだが、たちが悪いのが、その
光景を目撃していた綾波レイと渚カヲルがそれ以降、隙あらばタクトの頭の匂い
を嗅ごうとしはじめたことだ。
親からすれば、嫌な光景である。
アスカなどは特に、サードインパクト直前の、エヴァ量産型にむさぼられた記
憶があるような、そんな事実はないような、それらがないまぜになった状態で、
二重の意味で、自分の息子が自分とシンジ以外からチューされるのを見たくない。
これがもっと大人になって、ガールフレンドからキスされるならまだしも、
うーん。でもそれはそれでなんか、うーん。でもその時がきたら結構アタシも嬉
しいのかも、うーん。
と彼女は悩み、こんなに好きで、好きすぎて泣いてしまうほどなのに、タクト
は誰にでも愛想がいいのが納得いかない。
これはシンジに対しても何年か前に感じたことだ。誰にでも優しい彼にヤキモ
キしていたが、結局、彼は彼女をおいてはどこにもいかないという確信を得て、
最終的に帰って来るのは自分のところだと納得した。そうなればなったで、シン
ジのことをいじらしく、より愛おしく思えるというものではないか。
タクトに対してもいつかそう思える日がくるのだろうが、今はとにかく、この
誰にでも愛想がいい息子に、なんとか母親としての考えを理解させようと、ゆっ
くりとした速さで語りかける。
「タクト。別にミサトおばちゃんたちに頭の匂いかがれたら、嫌がっていいのよ。
泣いてもいいの。でも、そこまで愛想がいいのって、やっぱパパ似なのかしらね。
でもタッくんにそういうことしていいのは、ママとパパだけなんだからね」
言われた子供の方は、かまわれたと思ったらしく、つぶらな瞳で母親を見上げ、
喉の奥を小さく、ぐるぐると鳴らした。
そのさまが可愛くて、アスカはギュッとしないようにキュウッとタクトを抱き
しめ、溢れる感情を抑えるために赤ん坊の頬に、自分の唇を押し付ける。
以上が、タクトの場合。
これがシンジとアスカの娘であるミライの場合だと、速攻で泣く。
いつでも眉毛が十時十分の角度になっている碇ミライは、基本的に愛想がない。
ムッスリしている。
ミサトだろうがレイだろうが、カヲルに抱っこされても泣く。
シンジとアスカ以外に抱っこされた場合、例外は無い。
あまりに泣きすぎて、彼女は自分を抱っこする腕の中でのけぞる。そうすると
抱っこした側も不安になり、それがミライに伝染してさらに彼女は泣いてしまう。
アスカは相手からミライを返してもらい、抱っこする。横抱きではなく、赤ん
坊の体を自分の肩にもたれかけさせるような縦抱っこで。
それで少し大人しくなる。
「ごめんごめんごめんごめん」と言いながら、小さい背中をよしよしと撫でる。
文句を、ぷふーぷふーとこぼしながら、ミライは大人しくなる。
手間がかかるなあ、とは正直思うが、娘が自分やシンジでしか安心感を得られ
ないというのは、困ったことではあるが、嬉しくもある。
きっとアスカも小さいときはミライみたいだったんじゃないかな、とシンジは
思うが。
それは言わぬが花、なことに違いない。
だから碇シンジは言わないでいる。
シンプルライフ 第六話
『666は獣の数字』
とある六月六日。碇シンジの誕生日である。
碇シンジは彼の息子であるタクトを連れて、街中で夕飯の買い物をしていた。
すでに友人、知人にはアスカが招待状を送っている。そのアスカから、今日は
何もしなくていいと言われているが、その通りできるなら碇シンジは皆の知る碇
シンジではない。
そう思いつつも、シンジはアスカの好きなものを、あれやこれやと思い浮かべ
ている。
今日は自分の誕生日なので、いろいろ料理も頑張ってしまおうと考えている。
たまには奮発してもいいよね。
そんな彼がなんの気なしに車道を挟んだ向こうの歩道に目をやると、そこには
見慣れた妻の顔がある。
「あれ? アスカ?」
疑問形になってしまったのも無理はない。今は平日の夕方で、シンジの知りう
るかぎり、この時間帯、彼女はネルフで働いているはずなのだ。
しかも彼女が着ているのは見慣れぬ黒い服で、修道女が着ているものだ。
「なんでアスカがあんな格好……、あ! もしかして、僕の誕生日に何か出し物
をやってくれるのかな?」
シンジは胸の奥から何かこみ上げてくるのを感じた。
彼女にしてみれば、サプライズとして準備しているはずだ。見つけてしまった
ことは仕方ないとして、この場はこっそり立ち去るのが吉だ。
残る問題は、彼にビックリした演技が出来るかどうかだ。演技や嘘というもの
がシンジは得意ではない。ムリヤリ演技したり、嘘をつこうとすると、抑揚がな
い平板な声、いわゆる棒読みのような発音になってしまうのだ。
そうした棒の演技を回避するために、見なかったことにしよう、とシンジは
判断した。
元から知らなければ、素で驚ける。これ以上の情報を得なければ、まだ大丈夫
なはずだ。
そう思っていてたが、珍しい格好をしているアスカをつい目で追ってしまう。
そこでタイミングが悪いことに、彼女と目が合ってしまった。
言い訳にしかならないが、教会のシスター姿のアスカというのは彼の目には新
鮮に映ったのだ。白い頭巾が頭も額も耳も隠し、さらに上から黒いヴェールをす
っぽりとかぶっているので、顔だけが見えている。
イメージが貧困だとシンジ自身も思うが、修道女というのは、まさに『清楚』
という言葉がぴったりの格好なのだ。
そんな格好のアスカを、よくまあシンジも気づけたものだが、そこはたぶん、
彼のこと、きょとんとした表情で、『愛の力』だと答えるのは容易に想像できる。
シスター・アスカに気づかれたシンジが、『うわあ。しまった』と考えている
と、通りの向こうのアスカも驚いたように目をむく。
そこまで驚かなくても、とシンジは思う。
彼女の口が動いた。シンジのいる場所からでは何を言っているかはわからない
が、彼に対しての理不尽な怒りを述べているのではないかと、シンジは予想する。
これは経験に基づく予想である。
これが予想外の展開になるのは、その三秒後で、彼女は胸に輝く十字架に左手
をあて、右手を人さし指と中指を揃えたジャンケンのチョキの形で天高く挙げた。
いったい何事かと逃げるのも忘れて見ているシンジに向かって、アスカは通り
の向こうから右手を振り下ろした。
直後にシンジの頭上で青白い光が瞬き、辺りには轟音が轟く。
それによってタクトがびっくりして起きてしまう。
何やってんだよ、アスカ! とタクトをあやしながら、通りの向こうに目をや
るが、そこに彼女の姿はない。
「もらった!」
アスカの声が空から降って来るので顔を上に向けると、巨大なメイスを構えた
妻が、彼に向かって跳躍しているところだ。
えー。そこまでされなきゃならないこと、僕はしてないよ。
現状が把握できていないシンジだったが、よくわからないままにアスカに背を
向け、かき抱いたタクトを自分の体でかばう。
「!?」
それに気づいたアスカは、一瞬だけ宙で動きを止め、ふわりとまるで重さが無
いかのように着地した。
「アンタ、ビーストナンバーだけあって、ひどいマネするわね。赤ん坊を人質に
するなんて」
「ひどいのはアスカだよ!」流石のシンジもこれには怒る。「悪ふざけが過ぎる
だろ、タクトがケガしたら、どうすんのさ!」
「はあー?」と相手は間の抜けた声を出す。
シンジはアスカに向き直って、気づいた。
今、シンジの目の前で巨大な棍棒を担いだ女性は、彼の妻の碇アスカではない。
たしかに顔はアスカだし、声もアスカだが、夫だけあって、すぐに別人と気づ
く。
信じられないが、他人の空似がここまで来ると、ドッペルゲンガーではないか
と、つい彼女の青い目を覗き込んでしまう。目の中に歯車が回っていないか確か
めるために。
「ちょ! 近い近い!」
トントンと水面に浮かぶ石の足場を飛ぶような動きで、彼女はシンジから跳び
のいた。
「あー。やっぱり、アスカじゃないんだね」
当たり前の話だが、目の中に回る歯車は無かった。瞳の色は彼の愛する瞳と同
じ空色だったが、そこにある光には鋭さが混ざっている。
その彼女が右肩にメイスを担ぎつつ、開いた左手をシンジに突き出した。
「誰よ、アスカって。それより、その人質をこっちに返しなさい。今だったら、
まだ地獄に送り返すだけで許してあげるわ!」
「僕の子供を、街中ででっかい棍棒を振り回すような乱暴な人に預けたりしたく
ないな。それが僕の奥さんと同じ顔をした人だとしてもね」
「はあ?」
不機嫌さを隠しもしない表情は、『あの頃』のアスカみたいで、そこは懐かし
さも覚えるが、やっぱり別人なんだとシンジは認識する。
「アンタってば、フランシス・フラッドフォードじゃないの?」
よくわからないが、人違いだろう。
「僕は碇シンジで、そのナントカ・カントカフォードさんじゃないよ。というか、
本人かどうか確認もしないで、よく殴りかかってこれたもんだね」
「あー。聞き方が悪かったわ。『汝に問う、汝が名は何ぞ』」
本格的に痛い人だったらイヤだな、とシンジは考える。目を合わせなければ良
かったのかもしれないが、今さら思っても仕方ないことだ。
アスカに良く似た彼女は、シスター・アリサだと名乗った。本物の教会関係者
だそうだ。バチカンの身分証やら特殊な十字架を見せられたが、それが本物かど
うかわからないので、シンジには意味がなかった。
「だから、碇シンジですけど?」
動かない父親に不満らしく、タクトがうーうーと不満の声をあげる。
「あー。ごめんごめん」胸にくくりつけた赤ん坊の尻をぽんぽんと叩いてあやす。
「買い物してお家に帰ろうね」
「何言ってんの。帰さないわよ?」
そう言って、アスカに似た女性は、担いでいたメイスを垂直に地面に突き立て
た。その時の振動がシンジの足の裏にも靴底越しに響く。見た目と違い、相当な
重量があるようだ。
本来であれば、道端でいきなり棍棒片手に襲い掛かってくるような相手と、会
話などしている場合ではない。
シンジもそうであって、これが見たこともない人間相手であればそうだが、
アスカに瓜二つの女性が相手だ。ガードが甘くなるのは否めない。
それと、変わった人間の相手には慣れている。それは父だったり、昔の上司
だったり、友人だったり、遺伝子的に近しい女性だったり、彼の妻だったりで。
「でも、そちらも忙しいみたいだし、僕らも忙しいからなー。ははは。じゃ、お
仕事がんばってくださいね」
と、シンジは棒読みのような口調でそろそろと距離を取る。
「待ちなさいよ」
がしっと襟首をつかまれて、シンジは逃げ出すのに失敗した。
辺りをうかがうが、周りの人は向かい合うシンジたちを気にしたそぶりも見せ
ない。
「じゃあさ。どうしたら、僕が碇シンジであって、フランシス・マルマルじゃな
いって信じてくれる?」
シンジは質問する。相手が何を求めているのか、知ろうとしてしまう辺り、彼
の人間性の現れである。
「フランシス・フラッドフォードは人間界の名前よ。一般的には獣の数字、
もしくはビーストナンバーって呼ばれてるわ」
アンチ・キリストなら、宗教的なものに明るくないシンジでも聞いたことがあ
る。
「それって、オーメンって映画に出てたダミアンみたいな?」
「みたいというか、そのものよ。ま、ダミアンはフィクションにしてもね」
「じゃ、なに。フランシス・ナントカって人は、六月六日生まれだったりするの?」
「当たり前じゃないの。あとね、いい加減覚えなさいよ。フランシス・フラッド
フォードよ」
シスター・アリサはFの発音のたびにシンジに向けて人差し指を突きつけた。
「Fが三つよ。アルファベット六番目の文字三つも並べるとか、ホント、悪趣味
よね」
「その人がどうかしたの?」
「この第三新東京市に来てるって情報があるのよ。今日は六月六日、奴らビース
トナンバーが一番力を持つ日よ。今、この場で軽〜くハルマゲドン始まっても
おかしくないわ」
「大変じゃないか」
「だからよ」と言って、シスター・アリサはシンジの額にデコピンをした。
「力を持つ前に、早めに地獄に送り返さないといけないのよ!」
苛立ったように頭巾の上から、シスター・アリサは頭をガシガシかいた。そん
な仕種もアスカと同じなので、もしかしたらドッキリカメラではないか、とシン
ジは辺りを見回したが、とりあえずみつからなかった。
だいたい、ビーストナンバーといきなり言われてもピンと来ない。しかし、な
んとなく信じてしまう気になるのは、十四歳の『あの日』に、いきなり呼ばれた
挙句に汎用人型決戦兵器などというものに乗せられたからだ。
「それにしても、アンタって手配書の顔写真と同じ顔なのよね」
シスターが手にしている写真を、シンジは横から覗き込んだ。
「だから、近いってえの!」
「あ、ごめん」アスカに似ているので、つい距離を縮めてしまう。
「ほら」とそっぽを向いたままで渡された写真をまじまじと見るが、そのフラン
シスなにがし。外見はシンジにそっくりだ。神が銀色であるところ以外は。
「これは間違えられてもしょうがないかなー」
確かにそう思えた。彼にしてみれば、見慣れた自分の顔だ。しかし、どこかに
引っかかるものを感じた。見慣れた自分の顔だからわかりそうなものだが。
「あ、そうか」
「どうしたのよ」とシスター・アリサが聞いてくるのを、シンジはちょいちょい
と手招きし、近くの店先のショーウインドウの前に二人して立つ。
「ガラスに映る僕を見て、それからそのフランシス・ほにゃららの写真を見てよ」
「だから、いいかげん覚えなさいって……。あ! そういうこと?」
ガラスに映るシンジの顔と、フランシスの顔は同じだった。
誰でも自分の顔を確認する機会が多いのは、鏡の前だ。手配書の写真がシンジ
自身なら、『見慣れた自分の顔』だと思えるわけがない。
「人間って、顔も体も左右対称ってわけじゃないんだよね。精神的なものとか、
どっちの歯でより噛むか、あと利き腕とかが影響して、完全な左右対称の人って、
逆に珍しいんじゃないかな」
感心したようにシスター・アリサは顎をなでた。「後出しみたいに思われるか
もしれないけど、ビーストナンバーの奴らは左右が逆なのよね。右手が左手だし、
左手が右手なのよ。心臓の位置も人間と左右逆にあったり」
「これで人違いってわかってもらえたかな」
「どうやら、そのようね」
少し悔しそうにシスター・アリサは言った。
「向こうも、討手として使わされたアタシのこと狙ってるらしくてさ。だから、
アンタを見つけたとき、フランシスだ! って思ったんだけど。せっかくこっち
が先に見っけたと思ったのにね。あーあ。また探しなおしか」
「へー。大変だね……、って。え? どういうこと?」
「どうも内通者がいたみたいでさ、フランシスにアタシの面が割れてるみたいな
のね」
うお、マジか。こんなことの為に僕は世界をもう一度やり直したわけじゃない
ぞ。
とシンジは抗議をしたい気分だ。誰にすればいいかわからないが。
「それ大変じゃないか。っていうか、僕の奥さんはキミにそっくりなんだけど、
まさかアスカが狙われてるってこと、ないよね?」
「いや、知らないわよ。自分で確認してみれば?」
言われるまでもなく、青ざめた顔のシンジはケータイを取り出している。
短縮ダイヤルのゼロゼロ番にはアスカの番号が登録されている。
『ゼロはラブって読めるらしいからラブラブってことね』などと登録してくれた
時のアスカは言っていて、それが照れくさいような嬉しいような気持ちだったの
をシンジは思い出した。
短縮ダイヤルにアスカの番号を登録していて良かった。震える手では、九桁も
間違えずに押せなかっただろうから。
■■■ ■■■ ■■■
ケータイの呼び出し音は鳴るのに、アスカは出ない。三回目の呼び出し音が終
わった時点でシンジは電話を切った。
すぐさまネルフに電話をかける。アスカのいる部署に。
ワンコール、出ない。手を握ったり開いたりしてしまう。
ツーコール、ガチャリと音がする。シンジは待ちきれなくて、話しだす。
「碇シンジです。マヤさんですか。あ、どうも。ご無沙汰してます。さっそくで
すいません。あの、アスカは? いない? お昼に出た。うわ。最悪だ。いえい
え。こちらの話です。すいません」
腕時計を見ると十二時二十分だった。
「大丈夫です。はい。アスカが戻ったら、僕に連絡するように言ってもらえます
か。はい」
慌しく電話を切った。
「どうしよう! アスカが、僕の奥さんなんだけど、そいつに狙われてるかもし
れない」
「落ち着きなさい。どういうこと」
シンジは震える手でケータイの待ち受けにいるアスカを見せた。彼女の写真を
強制的に待ち受け画面にされていたが、こういう場合は話が早くなるので助かる。
「あれ? これアタシじゃない? でも、こんな服着たことないわね」
「だから僕の奥さんのアスカなんだって!」
さっきと立場が逆転したが、どうにかわかってもらうことに成功する。
アスカを探すべく、急ぎ足で移動するシンジに、背後からシスター・アリサが
声をかけた。
「アタシに任せときなさい! ビーストナンバーってたしかに強いけど、弱点も
結構あんのよ。まずは、教会で祈りをこめられたメイス。聖なる塩。聖書に十五
年以上はさまれていた銀貨。あと猫の鳴き声ね。猫と銀貨は持ってこれなかった
けど、このメイスがあるからさ!」
しかし、アスカを見つけないことには、シンジの心配はおさまらない。
■■■ ■■■ ■■■
ちょうどその頃、アスカはネルフから一時外出していた。
昼休みの時間を利用して、シンジへのプレゼントを買うつもりでいる。
今日はシンジの誕生日だと言うのに、アスカはプレゼントをまだ買っていなか
った。
時間がなかったわけではない。むしろ時間をかけすぎたせいで、迷っているの
だ。
二つまでは絞れている。どちらもシンジが喜ぶであろうプレゼントなのは間違
いないとアスカは思うが、できることなら、より喜ばれるものを送りたい。
欲張りだなあと思うが、彼を喜ばせたいし、喜ぶ顔を彼女は見たい。
もとから物欲、所有欲というものがシンジには無いのか、欲しいものを聞いて
も特に答えが返ってこない。
アスカ自身も最近はとんと自分の買い物をしていない。その理由は、買い物し
に行くと最初にベビー用品売り場に足が向くからだ。そこであれがいい、これも
いいかもと選んだりしていると、自分の分を買うのが面倒臭くなる。自然と、自
分が買いそうな服が売っている店には足が向かなくなっていた。
欲しいものはと聞かれたら、アスカは服やアクセサリーの類ではなく、シンジ
と二人の時間が欲しいと答えるだろう。
『あー。もっと時間効率よく働けないものかしら』
働きたくないわけではないが、もっと時間を濃く圧縮できないものか、とアス
カは午前中の自分の時間の使い方を振り返ったりする。
赤ん坊のタクトは今この瞬間にもズンズンと成長しているはずだ。朝出かける
前に息子をそっと抱きあげた時よりも、その日帰って来て夜抱き上げた時の方が
ずっと重くなっているのだ。
今日も帰ったら、またでっかくなってるんでしょうね。
と息子のずっしりとした重みを思い、アスカの顔は自然とほころんでしまう。
早く息子に会いたい気持ちを抑えつつ、シンジへの誕生日プレゼントを選ぶ。
ギリギリまで悩んでいたが、流石に決断しなければならない時がきている。
むしろ焦って、逆を選んでしまうかもしれないから、ここは慎重にいくわよ、
アスカ。
と自分を鼓舞して。
ショーウインドウ越しに、うーむと悩んでいると、見慣れた顔が後ろに立って
いる。
あら? シンジ?
少し驚いて振り返ると、アスカの斜め後ろに、彼女の夫である碇シンジが立っ
ていた。彼女を見る目はいつものように優しいが、ツンツンと逆立てた髪が銀色
である。
彼はダークグレイのスーツに黒いシャツ、きっちり締めたネクタイはワイン
レッド。襟には何か火焔太鼓のようなピンズが留められているが、火焔を表す
マークが逆で、アラビア数字の六が三つ、渦巻いているように見える。
彼女の夫は、髪型や服装で冒険をするタイプの人間ではない。
ましてや、タクトが生まれてからは、アスカ買ってきた服を着るだけになって
いる。
シンジだったら、面白いことになってるけど、そうじゃないわよね。
途中で、アスカはあることに気づく。
確かに目の前の男は、、顔もシンジだし仕種もシンジだ。それは間違いない。
だが、
彼からは、血の匂いがする。
そして、
「ちょっと。タクトはどうしたのよ?」
一卵性父子になりつつあるはずのシンジが、二人の息子であるタクトを連れて
いない。
それと今気づいたが、顔がシンジと左右が逆だ。目の前の男の顔は、鏡で見る
シンジと……。
シンジに似た男は薄笑いを浮かべながら、アスカの喉めがけて、揃えた指先を
貫手にして突き出す。
『同じね』と思いつつ、体を傾けることで、貫手をよけられたのは奇跡に近い。
それが可能だったのは、幼少の頃から続けられた、エヴァパイロットになるため
の鍛錬のおかげだ。
昔のアタシ、よく頑張ったわね、とアスカは自分で自分を褒めた。
反射的に相手の袖をつかむ。
彼女は自分が回転する力と、相手の突進する力を利用し、シンジによく似た男
を流れるような動きで地面に叩きつけた。
少しやり過ぎたかもと思うが、いきなり喉笛を狙うような輩に手加減する必要
性を彼女は感じない。
何が起こっているかわからないが、シンジに似た男が、自分に危害を加えよう
とした。
十分に、事態は深刻であると考えられる。
彼女は緊急避難的にシンジのところへ向かおうと瞬時に決断した。プレゼント
を買っていないが、仕方ない。
突発的な事象が起きて混乱したときは、中途半端に途中からやり直すよりも、
いったん出発地点に戻ってスタートしなおすと、上手く行くことが多い。
碇アスカの場合、彼女の出発地点といえば、碇シンジなのだ。
「どっちかしら。こっちの方角にいそうだわね」
アスカの勘は、これで外れたことが無い。シンジに対しては。恐るべきは野生
の勘と言おうか。
彼女に尋ねれば、『愛の力よ!』と鼻息も荒く返事がきそうだが。
迷うことなく走り出す。
出発地点の位置をより確実なものにするために、彼女は使える手なら何でも使
うつもりでいる。バッグからケータイを取り出して、実際にそうする。
「アロウ。ミサト? 今、シンジとタクトがどこにいるかわかる? 調べてくん
ない? 見つけてくれたら、次にウチに来たとき、タクトのほっぺに一回ならチ
ューしても怒らないわよ」
電話を切ったアスカは、間髪いれずにまた電話をかける。
「レイ? アタシだけど。いやいやいや。なんでオレオレ詐欺よ。アスカよ。
そう。ちょっとタクトの居場所を教えてくれる? アタシのためじゃないわよ。
タクトのためよ。教えてくれたら、次にウチに来たとき、タクトのほっぺに一回
ならチューしても怒らないわよ」
電話を切ってから、27秒後にミサトから電話があった。
「ダンケ、ミサト! ちょっとしたトラブルだと思うけど、どこまでの話かわか
んないから。そうね。今から三十分経ってもアタシから連絡なかったら、シンジ
のところに諜報部回してくれる? たぶんそこにアタシもいるから。それに、今
アタシのケータイの電波、そっちも拾えてるでしょ? うん。よろしく〜。はい」
その直後に綾波からも電話がくる。綾波レイには、タクトに対してのレーダー
が装備されているらしい。タクトがどこにいても、必ず見つける能力がある。
■■■ ■■■ ■■■
しかし、アスカを追ってくるシンジに似た男がしつこい。
まく為に、赤信号の歩道を突っ切ってやろうかと考えたが、それをやっても
相手はしつこそうだったし、万一、失敗して事故でも起こしたら意味が無い。
まくメリットと事故のデメリットを比較し、アスカは無理しないことにした。
彼女が全力で走ると、相手の速度も付かず離れずでついて来る。泳がされてん
のかしら、とアスカは考えるが、さっきミサトから聞いた場所には近いし、アス
カレーダーももうすぐだと言っている。
見えた!
シンジがいて、その隣に何故だか彼女に良く似た修道女がいる。手に凶悪そう
な棍棒を持って。
「シンジ〜」手を振りながらアスカは駆け寄った。
それに気づいたシンジが一瞬、安堵したような顔を見せたが、すぐに引き締ま
る。彼の背後の修道女がメジャーリーガーのように凶悪な棍棒を振りかぶった。
アスカは叫ぶ。
「シンジ、後ろ!」
シンジも叫ぶ。
「アスカ! しゃがんで!」
走りながら、とっさにしゃがむ、慣性の法則で前のめりに倒れる。シンジも
タクトをかばいながら、身を沈める。二人の頭すれすれに空を切る鈍い音。
シスター・アリサがフランシスの体めがけてメイスをフルスイングした音だ。
アスカの背後で鉤爪を突き立てようとした獣の数字、ビーストナンバーは、
メキッという音を体の中で聞いた。
ビーストナンバーに肋骨が何本あるか知らないが、二本は折ることができた
と、シスター・アリサは手ごたえから感じ取る。
そのまま振りかれたメイスに飛ばされ、フランシスことビーストナンバーは、
真後ろの壁に叩きつけられる。天使が通り過ぎたような間があり、男は地面に落
ちた。
よろよろと起き上がる。
「あー。痛ってええなああ!! この、クソシスター! アダムですら、取られ
た肋骨は一本だったってのによう!!」
折れた二本の肋骨がフランシスと名乗る男の口から飛び出ている。
それをビーストナンバーである男は左右の手で一本ずつ握り、ずるりと口から
引っ張り出した。その骨を頭上で八双、八の字に構え、円を描くように振り回す。
銀色に光る肋骨は二本の刃のようだ。
手首のスナップを効かせて回る二本の骨は、高速で回転し、音速を超えた時に
鳴る鈍い破裂音が風を斬る。
シスター・アリサがメイスを片手で構え、十字を切る。
「主よ。この試練をありがとうございます。立派に乗り越えて見せます」
一方のビーストナンバーが構える二本の骨が、交差して十字になっているのは、
皮肉な光景だ。
「我が右手に憎悪、左手に絶望。恐怖はお前の頭蓋骨でできた冠に刻んでやる」
そう言ったビーストナンバーが振り回す二本の骨が、電線が風にたわむような
音を立て、バトルスティックと化す。
シスター・アリサの顎が動いた。唾を飲み込む音が聞こえそうだった。
ちょうどその頃、世界の行方を分かつ戦いのすぐ傍で、アスカがタクトを抱き
かかえていた。
「あっ。もしかして、平日の昼間にタクトとアタシが一緒にいるのって、初めて
じゃない?」
言われて、シンジも過去を思い出してみるが、たしかに。
「そういえば、そうだね」
「いっつも夜とか土日は会えてるのにね〜。平日の昼間に会うタクトは一味違う
と言うか〜。日の光の当り具合かしらね〜?」
自分の母親が何を言っているかわかっていないだろうが、赤ん坊は、いつもの
ようにご機嫌で、うふふうふふとはにかむように笑っている。
生まれてから一歳になるまでの時期、両親がどれだけ話しかけるかで、乳児の
IQが決まる、という研究がある。
自分の子なので、頭の良さに関してアスカは心配していないが、せっかくだから、
という気持ちもある。
「タクト〜。ママよ〜」
なんでも良いので、とにかく話しかけることにする。
しげしげと我が子の顔を眺め、脇に手を入れた状態で高い高いをし、戻した直
後に赤ん坊の頬にキスをする。摘んだばかりの葡萄の房を、下から口をつけるよ
うな仕種で。
アスカはタクトの頬に、むちゅむちゅと何度も吸い付いた。
うふふ。うふふふ。と赤ん坊が笑う。手を振り回して喜んでいる。
「まだお昼寝の時間じゃないのかしら?」
「いつもならそうだけど、今日はアスカに会ったから目がぱっちりしちゃったん
じゃないかな?」とシンジが言った。
「え? じゃあ、アタシ、タクトから離れた方がよくない?」
「たまにはいいと思うよ」
「あのー。アタシたち、戦いの最中なんですけど」
言われて気づくが、アスカに似たシスター・アリサとシンジ似のビーストナン
バーが対峙したままだった。
「あら、ごめんなさいね。こっちのことはお気になさらず〜」
こともなげにアスカが言うと、シスター・アリサが口を尖らせた。
「世界の運命が決まる戦い、なんだけどな〜」
「大丈夫でしょ。本格的にヤバイときは、空気が違うもんね。シンジ?」
と傍らのシンジにアスカが問う。
「そうだね。そういうときは、空気が生臭いんだ、血の匂いがするよ」
シンジが過去を思い出したらしく、掌を握ったり開いたり、繰返している。
目も黒い部分が汚染されたかのように濁りはじめて光が失われる。酸素が欠乏し
ているかのように、浅い呼吸が繰り返される。
第十二使徒レリエルに飲み込まれたときのことを思い出しているのだろうと、
アスカは見当をつけた。
そうした場合、アスカがすることはシンプルだ。複雑なことなど必要ない。
「あっとっと。ほら〜。シンジ〜」
アスカは素早くシンジの首に手をかけ、自分に引き寄せる。自分の頬と彼の
頬をそっと合わせる。彼女の頬で、シンジの頬を撫でるように頬ずりする。
普通にしているとシンジの顔に自分の顔が届かないので、アスカは少しつま先
立っている。
「アタシがここにいるわよ〜。もうあん時とは違って、アンタは一人じゃないの
よ〜」
よしよしと何度も、アスカはシンジの名前を呼ぶ。それにつれて、シンジの荒
く浅い呼吸は、落ち着いてきて、最後にはいつものシンジだ。
「もう大丈夫ね」
「うん。ごめんね、アスカ」
「いいのよ。アタシがそばにいれて良かった。シンジが一人で苦しんでたらと
思うと、ぞっとするわ」
「ありがとう。僕はもっとしっかりしなくちゃね」
「気にすることないわよ。そういう時はアタシがいるんだし、アタシがそうなっ
た時は、アンタがそばにいてくれるんでしょ?」
「もちろんだよ」
「そうだ、シンジ。お誕生日おめでとう。帰ったら、プレゼント渡すから」
「いいんだよ。そんなにしてくれなくて」
会話だけ見ると惚気る夫婦だが、恐ろしいことに、この二人、会話の合間に
キスを繰り返している。それだけに飽き足らず、句読点の『。』の後ですらも。
シスター・アリサとビーストナンバーは完全に毒気を抜かれている。敵同士で
向かい合っている最中、自分によく似た二人が延々とキスしている様を見せつけ
られているのだ。それで闘争心が湧くかというと、それは大変難しい。
しかし、ビーストナンバーにしてみれば、それがいけなかった。
その場に、後部を振りながらカーブを曲がるドリフト走行でルノーのアルピー
ヌが現れる。
気づくのが遅れたビーストナンバーは、青い外車が回転する勢いに巻き込まれ
る。
青いアルピーヌは、横からビーストナンバーを跳ね飛ばした。
またもビーストナンバーは真後ろの壁に叩きつけられる。
■■■ ■■■ ■■■
「なんかひいたかしら? あら? アスカ。シンちゃんとタッくんに会えたみた
いね〜」
当然のごとく、アルピーヌから現れたのはミサトで、後部座席からはレイと
カヲルも出てくる。
「じゃあ、さっそくだけど。さっきの約束を果たしてもらうわよん」
両腕を差し出すので、仕方なくアスカはタクトを渡す。
「タッくん〜。ミサトおねいさんよ〜ん」
名前を呼ばれたタクトは、うふふと目を細めて笑っている。
「〜〜〜♪」声にならない声を出し、ミサトはその豊満な胸にタクトを抱きしめ
る。うふ、とタクトは笑って、されるがままだ。
ぽっ、とアスカの心に嫉妬の火がついた。
「ちょっとタクト! なんでそんな満足げなの? やっぱり胸が大きい方がいい
のね。シンジ! アンタがおっぱい星人だから、タクトに遺伝しちゃったじゃな
いの。どうしてくれんのよ!」
「えー。そんなあ。それ僕のせいなの?」
「だいたい、アンタがちゃんとアタシの胸揉まないから、アタシの胸が大きくな
らなかった可能性もあるじゃないの。どっちにしろ、アンタの責任よ!」
「いやいやいや。僕はけっこうちゃんと揉んだつもり……」シンジは我に返った。
「これ、僕は『巻き込まれ事故』だよね……」
ミサトはむちゅむちゅとキスをすると、レイにタクトを渡す。受けとったレイ
は少し赤ん坊と見詰め合うと、頬にキスをし、抱きかかえ、自分の体ごと左右に
揺れる。その間、タクトはうふうふと笑っている。
カヲルが抱っこした時、タクトは一瞬、困ったような顔で笑う。それは彼の父
によくする表情にとても似ている。
その向こうではシスター・アリサとビーストナンバーが激しく戦いの火花を
散らしているが、誰も気にしていないので、シンジも気にしないことにした。
その後も、タクトはアスカの手に戻ることなく、ミサト、レイ、カヲル、
ミサト、レイ、カヲル、ミサト、レイ、カヲルで都合四周する。
だんだん、タクトの笑い声が、か細くなってくる。
それに気づいたアスカはひったくるようにタクトを取り返す。
「あー。もう! うちの子を返しなさいよ。なんで一回ってのが守れないのかし
らね。ほら、もう! よってたかって抱っこするから、タクトがぐったりしてる
じゃないの!」
相変わらず、タクトは、うふふと笑っているが、その声に力がない。
赤ん坊というものは気の塊である。
それは元気だったり運気だったりする。
元気で頬が赤いところから『赤ん坊』というのだとする説もあるし、海外の
話になるが暴漢に拳銃で撃たれた妊婦がいたが、その弾丸は胎内の赤ん坊の腕と
腕の隙間、ちょうど肘の内側で止まっていたので、赤ん坊も妊婦も一命を取り
留めた、という話もあるくらいだ。
『気』とは、高いところから低いところへ流れる。
つまり、今回はタクトからミサト、レイ、カヲルへと。
それでタクトが疲れたのだろうと、アスカは判断した。
「ホントに。愛想がいいのは悪いことじゃないけど、それでアンタがぐったりし
てたら意味ないじゃないの」
赤ん坊に向かってアスカが言う言葉は、昔シンジにも言ったことがある言葉で
もある。
「でも、今回はそれで良かったのかもしれないよ。タクトがその性格でさ」
昔、同じ事を言われたシンジが横から口を挟んだ。
「何いってんのよ。かわいそうだと思わないわけ?」
アスカの眉根が下がった。
「ぐったりしているということは疲れてるってことで、それを解消するにはさ、
寝るか、おっぱい飲むかする必要があると思うんだ。それを赤ちゃんが要求する
時って」
父の言葉を待っていたのか、タクトが泣き出した。大きな声で、サイレンのよ
うに。もしくは猫のような声で。
足を滑らせたようにビーストナンバーは、その場で片膝をついた。
「その猫の泣き声を止めろ!」額からは油汗を流し、手で両耳を塞ぐ。
その隙をシスター・アリサは、ものにする。
ビーストナンバーの頭にメイスを振り下ろし、体を地面に完全にめり込ませる。
自分も勢い余って、空中で一回転してしまう。
追い討ちでビーストナンバーに対して、垂直にメイスを突き立てる。その場で、
メイスの握り部分が三方に分かれる。垂直の部分と、左右に分かれる部分に。
それはちょうど十字架のようだし、誰かの墓標のようだった。
「ここに一発やっちゃってください! お願いしま〜す!」
シスター・アリサが口元に手をあて、天に向かって叫んだ。もう一方の手は、
十字架を指さしている。
ズドンと虹色の雷が、十字架を直撃した。
「塵は塵に、アルゼンチンはアルゼンチンに、主の敵は地獄に。
以上、アーメン」
本気なんだか不真面目なのかわからない発言だったが、豊かな胸の前で十字を
切るシスター・アリサの表情は厳かだった。
■■■ ■■■ ■■■
無事にミッションを終えたシスター・アリサに別れを告げ、シンジとアスカは
帰宅した。
これから友人、知人が碇家に来る。急いで誕生日パーティの支度をしなければ
ならない。こうなった以上、アスカも午後の仕事は休みにした。
暇だからとついてきたレイとカヲルを、アスカは散々にこき使うつもりでいる。
タクトはお昼寝タイムである。
まずはお茶を飲んで一服する。
「それにしても。よくアンタ、あの女がアタシじゃないってすぐ気づいた
わよね。かなり似てたのに」
シスター・アリサが自分でないことにシンジがすぐに気づいたというのが、
アスカには凄く嬉しいことだ。気づいた理由もなんとなく言うことがわかって
いるから。
それを言葉にして聞かされるのは恥ずかしい反面、聞きたい言葉でもある。
この辺りが、複雑な女心というところか。
「え? ああ、うん。そりゃあ気づくよ」
何でもないかのようにシンジが言った。
シンジは『愛の力』と臆面もなく言うはず、むしろ、言って言って、
『愛の力』って。
アスカはそう思っていたのだが。
シンジの言葉は違った。
「だって、アスカは寄せてあげてのCカップじゃない? だけどあの人、普通に
Dカップあったんだ。もしかしたらEあるかもしれなくてさ。そりゃ、気づかな
いわけ……」
そこまで言って、シンジはアスカの様子がおかしいことに気づいた。
目をつむり、口をへの字に曲げている。何かをこらえてるのか、とまで考えた。
直後、気づく。今のシンジは、心の中心であっと叫んだケモノだ。
とっさに軌道修正をこころみた。下手くそな演技、棒読み口調の出番である。
「ウウン。ウウン。ぜんぜん気づかなかったヨー。エー。あの人、アスカじゃな
かったんダー。エー。他人の空似って凄いネー。え? なに? アスカ?
アスカさん? うわあああ! いたたたた! 痛い痛い痛い! ごめんって!」
プロレスの技で一番痛いのは、ヘッドロックだという。
「まったく、アンタはーーーー!!」
誕生日に妻からヘッドロックをかけれられる夫は、世界中探しても、碇シンジ
しかいないと思われる。
■■■ ■■■ ■■■
とある六月六日の午後。赤木リツコ博士の研究室の電話が鳴る。
「はい。もしもし。あら、アスカ。ええ。シンジくんの誕生日パーティには
アタシもなんとか参加できそうよ。どうしたの? は? そんなものあるわけ
ないでしょう。明日からその研究をしたい? 今のネルフにはそんな研究に回す
人手も無ければ、時間も無いのよ」
「どったの? リツコ」とコーヒーをたかりに来ていたミサトが尋ねた。
「アスカが、胸を大きくする薬はないかって言ってきたのよ」
とある六月六日。UFOがあっち行ってこっち行って落っこちることもなく。
その日は碇シンジの誕生日だ。
それ以外にはこれといった事はないが、
碇アスカにしてみれば、それで十分である。
(了)