ダンスのコンテストには出られそうもないよ、ヘレン。胃がむかむかするんだ。
ユービックで治してあげるわ! ユービックがあれば、どんな激戦にもへこたれ
ないわよ。説明書通りに服用くだされば、ユービックは頭痛や胃の不快感に即効
を示します。たった数秒で間に合うユービック。長期間のご使用は避けてください。

                            フィリップ・K・ディック「ユービック」


 愛とは不公平なものかもしれないが、不誠実ではない。

 碇アスカは、自分の息子と娘には平等に接したいと考えている。

 たとえば長男のタクトを一度ぎゅっと抱きしめたら、その後に娘のミライも
ぎゅっと抱きしめるべきだし、ミライの頬にキスをしたら、タクトの頬にもキス
をすべきなのだ。

 一度、それで回数を気にしすぎて、パンクしかけたことがある。

 子供たちと接した回数をノートに書き込んだ。タクトを抱きしめたら記録し、
すぐにミライを抱きしめにいき、また記録するというふうに。

 そんなことが長く続くわけもなく、ある種のノイローゼのようになりかけてい
るところを、シンジに止められた。

 それ以来、アスカは子供たちに同じことを完璧にするのは無理と割り切ってい
るが、平等に接することができるように意識はしている。

 帰宅したアスカは、子供たちの寝顔をみつめる。すここ、すここ、と寝息を立
てているミライの寝顔はいつままでも見ていられそうに思える。

 子供にしては、まつげが長い。頬の丸みは日が昇る前の地平線のようだ。何か
が始まる期待感がある。じっと見ていると、体温による空気の対流が見えるよう
な気がする。

 起こすとシンジに怒られるので、そっとミライのまん丸のおでこにキスをする。
なでるのも、そっと静かに。

 寝かすのに苦労するらしいのだ。タクトは軽く背中をとんとんた叩くだけで眠
るのに、男の子と女の子の違いなのかもしれない。

 リビングに戻ると、すでにシンジによって、夕食の準備がされている。あとは
アスカが座れば食べ始められる状態だ。

 彼の料理に対する誠実さとひたむきさは、職人のようだ。食材を吟味し、道具
は丁寧に扱い、決められた分量はきっちり守る。料理は基本に忠実であること
が一番大事だ。料理べたほど個性を出そうとして失敗するが、シンジにはそれ
がない。

 シンジがそこまで料理にこだわるのは家族のためである。

 そんな彼には食事に関するルールがあって、シンジが一人で決めたものだ。
珍しくアスカの意見は取り入れられなかった。

 一つは、ご飯は一人で食べない。食べさせない。

 二つは、何があっても僕はご飯を作るし、家族みんなもそのご飯を食べること。

 これが碇家の最高法規である。

 今日もその法律に従い、シンジがアスカと同じテーブルにつく。彼女が食べ始
めると、シンジが今日の子供たちについて話しはじめる。

 タクトは一人でできることが多くなったこと、ミライはシンジを呼んで何でも
させるお姫様なこと。

 そんな中で、公園に行った話になる。

「解決した話なんだけどさ……」

 シンジは少し視線を下にむけつつ、はにかんでいる。

 それを見たアスカは、何かいいことがあったのだろうかと考えた。

「どうしたの?」

「今日のことなんだけどさ、いつも行ってる公園があるじゃない。そこでタクト
がお友だちとケンカになったんだけどね」

「うん」

 アスカは心臓が嫌な風にドキドキしてくるのを感じた。シンジの料理だという
のに味がしなくなった。下手すると、舌が本当に口の中にあるのかさえ、怪しい。

「ケンカって言っても、口ゲンカだけどね、公園にお昼すぎから遊びに行ったん
だ。ミライをおぶってね。それで最近仲良くなったクミちゃんて子とおままごと
することになってさ」

「ふーん。クミちゃんね」

 なんとなく、アスカは面白くない。だってクミちゃんという名前、女の子だろ
う。その子とおままごとなんて、タクトにはまだちょっと早いんじゃないかしら、
とよくわからない心配をしてしまう。

「それで、タクトがお父さん役をやったんだよ」

 そこでアスカはピンとくる。その辺りの鋭さは不機嫌でもちゃんと機能するの
だ。イメージとしては、心の中のクイズ番組でアスカが回答権のボタンを押した
状態だ。あとは正解を言って、ポイントを貰うだけの簡単なお仕事。

「ああ。そっか。そうね」

 アスカが正解に辿りついたことをシンジも理解している。

「そうなんだよ。タクトがご飯を作りだしたんだ」

 シンジとアスカは二人揃って、何とも言えない顔で笑いあう。

 碇家はお父さんがおうちで炊事洗濯をし、お母さんが外でお仕事をする。

 アスカはその時のおままごとの風景を想像して、吹き出した。お父さんとお母
さんが同時にご飯を作る風景は微笑ましい。

 いかに第三新東京市の復興が進み、世界が文明崩壊の危機を脱し、平穏な時間
を取り戻しつつあるとはいえ、まだまだお父さんが外に仕事に行き、お母さんが
家を守るという家族構成には余り変化はない。

 家と公園が世界のすべてである子供には、なおさら理解しづらいだろう。

「それでケンカになったんだ」なーんだ。とアスカは安堵のため息をつく。

「クミちゃんに『タクトくん、変〜』って言われて、『お父さんはお外にお仕事
に行くのに〜』って言われて、それで言い合いになっちゃってさ」

 そこでアスカは、おそるおそるという風に口を開いた。

「それで仲直りはできたの?」

「大丈夫。すぐに仲直りしたから。クミちゃんのママは。そういうとこちゃんと
してる人だから。元々ちょっとした行き違いしたってだけの話だし。その口ゲン
カの時にさ、」

 そこでシンジは少し溜めた。すごく嬉しそうだ。

「タクトは『僕のパパとママは変じゃないよ!』って言ってくれたんだよ」

 その時のアスカは、椅子ごと空に打ち上げられた気分だった。高揚する彼女の
心象は、すでに成層圏に達している。

 まだロンギヌスの槍ってあるんだっけ? とキョロキョロ探す高みまで。
 
 でも今はタクトのことなのだ。タクトはまだまだ甘えん坊で、半分赤ちゃん
みたいなものだと思っていたのに。

 すっと立ち上がったアスカは、流れるような動きでテーブルの横を通って、
リビングを出て行く。どこに行くのか聞かなくてもシンジにはわかっている。

 行き先はタクトの所だ。

 布団をかけて寝ているタクトの真横に座ったアスカは、優しく軽やかにタクト
を撫でる。そのくらいでないとタクトを起こしてしまうし、そうなるとやっぱり
シンジがうるさいのだ。

 だからといって、スキンシップを躊躇するわけではない。アスカはタクトの横
に寝転んだ。

「ママとパパの名誉のために戦ってくれたのね」

 タクトのおでこをはむはむと二三度甘噛みして、柔らかいのと暖かいのと丸い
感触を堪能する。足りない。圧倒的に足りないとアスカは感じている。このほと
ばしる愛の行き先をどうすればいいのか。これは頬しかないと決めた彼女は、次
にタクトの頬に二度キスをして、起きないか確かめ、さらに二回キスをする。

 砂場の遊び、棒倒しと同じだ。ギリギリまで攻めて棒が倒れるか倒れないか迄
砂をかき集める感覚だ。あれと同じでタクトを起こすか起こさないかのギリギリ
迄を攻めないといけない。この燃え上がる愛の炎は、タクトの頬でないと鎮火で
きそうもない。

 それを微笑ましく見ていたシンジだが、まだアスカに言っていないことを思い
出した。

 でも、クミちゃんは、名前を『タクミくん』ていって、男の子なんだよなあ。

 男の子同士でおままごとって、どうなんだろうと今更ながら、シンジは考えた。

 心配には及ばず、タクトはしっかりした男の子に育つ。

 が、中学二年の時に一回、家出する。


   ■■■ ■■■ ■■■


   シンプルライフ 第八話

   『チルドレンの問題』


 平安時代の日本では、泣くことは恥ずかしいとされず、男女ともによく泣いた
描写が見られる。

 花が散っては風情を感じて泣き、恋に破れては袂を濡らすという具合だ。

 それがいつの頃から恥ずかしいと、特に男の場合はなったかというと、西洋式
軍隊が導入された明治時代以降の話である。

 というわけで、よく泣く碇家の面々は、日本人的な家族と言ってよいだろう。

 例えば夕方というにはまだ明るい時間帯のこと。

 お昼寝から起きたタクトをつれて、シンジは買い物に出かける。

 彼の背中ではミライが、すここ、すここと寝息を立ててい
る。

 スキップしながら歩くタクトに目をやりつつも、急に車が来たりしないかシンジ
は注意を怠らない。

 日の光を受けて、タクトの黒髪がうっすらと茶色がかって見える。

 途中で立ち止まったタクトが振り返った。とても機嫌が良さそうに目を輝かせ
ている。

「おててつなごう!」

 小さな手を広げて、シンジに向ける。

「そうだね。おててつなごうね」

 シンジが手のひらを差し出すと、小さな指がシンジの人さし指を、きゅうっと
握ってくる。

 愛というのは何かの波動だ。とシンジは思っている。それが人を突き動かすの
だと。

 今もタクトの手のひらから暖かい波のようなものがシンジの中にゆっくりと流
れ込んできて、それが彼の体の中に浸透する。元からあった水分は押され、目か
ら涙として出る。

 心が満たされても涙が出るだなんて、『あの頃』の自分に話しても信じないだろう。

「どうしたの? おなか痛い?」

 心配そうにタクトが見上げてくるので、シンジは慌てて涙を拭く。

「大丈夫だよ」とだけ返す。

 そういえば、エヴァンゲリオンを操縦する際にはA10神経を接続していて操縦
していたが、この神経は『愛情』を司る神経だと聞いたことがある。

 自分には愛情なんてものは関係ないと『あの頃』は思っていたものだが、自分
はそこに辿りついたようだ。それとも、向こうが追いついてきてくれたのか。

 僕の場合、愛はきっと、赤い髪をなびかせながら来たんだろうな、と思うと
シンジの顔はゆるんでしまう。

「わらった! わらったね! だいじょうぶ!」

 タクトも嬉しげに、うふうふと笑う。

 帰ったら今の話をアスカにしよう、とシンジは思う。


   ■■■ ■■■ ■■■


 十年が経ち、中学二年生になったタクトは、活発だけど優しい少年に育ってい
る。

 外見は、シンジの少年時代を知っている人なら誰でも、お父さんそっくりだと
言うほど似てきた。DNAって凄いとアスカは感心する。

 親のシンジとアスカも驚くほど素直だ。

 朝は朝で、アスカが面白がって起こしに行っても、すでに起きている。パジャ
マをたたみ、ベッドも布団をかけなおし、制服に着替え終わっている。

 残念がっているアスカを見て、「なに?」というくらいの落ち着きぶりで、
十四歳だったシンジもしっかりしているところがあったわね〜、と昔を思い出す。

 一方、小学校高学年になるミライは、起こしても起こしても寝続けるというの
が、アスカとシンジにはまた面白く感じる。最近はそれが更にエスカレートして
きて、起こしにいったアスカを布団に招きいれ、彼女の背中をポンポンと軽く叩
いて、娘が母を眠りへと誘うのだ。

 アスカは何度ミライの布団でうとうとしたかわからない。その後、娘もろとも
シンジに起こされるという不覚をとる。

 それもまた幸せのかたちだとアスカは思っている。

 タクトは一言でいえば、世のすべてのお母さんたちに羨ましがられる少年だ。

 朝は言われなくても起きる。夜は明日の準備を整えたら十二時前には寝てしま
う。学校は真面目に通う。寝癖がついたまま登校しないし、鏡の前で二十分三十
分も髪形に時間をかけない。宿題はきっちりこなし、忘れ物もしない。誰かとケ
ンカしたりするようなこともなく、誰にでも優しい。

 身長はそれほど高くないが、腕や脛の骨が太いので、これから伸びるだろう。
父親を見て育ったからか、生真面目で、赤信号だと車が来ていなくても渡らない
し、開けたドアはぴっちりと閉める。意味も無く昆虫を集めたりしないし、傘も
無くさない。

 そんな姿を見て、あの頃のシンジってこんなだったのねー。とアスカはどこか
懐かしい気持ちがわいてくる。もっとよく見ておけば良かったと思うシンジの姿
をこんな形で見られるようになるとは、思わなかった。予期しない贈り物のよう
で、アスカはちょっと得した気分だ。子育てにはそうした面もある。

 タクトのことを、恐ろしいほどシンジの子だとアスカは考えている。不満など
無い。むしろ母親である自分に足りない何かがあってはいけないと、つい暴走気
味になって、シンジやミライにブレーキをかけられている。

 シンジとしても不満はない。手がかからなすぎて心配なくらいだ。

 ただ一つだけ、シンジとアスカが気になるのは、タクトに反抗期が来ないこと
だ。

 早い遅いはあるにしろ、そろそろ反抗期が来てもいいはずだ。

 魔の二歳児のイヤイヤ期はその通りに来たのに。

 その時のタクトは手がかかった。

 シンジが「ご飯食べる?」と聞いてもタクトは「イヤ」という。だから「じゃ
食べないの?」と聞くと、やはり「イヤ」という。

 どうすりゃいいのさ、とシンジもほとほと困りかけていたが、息子のことを
大きな飴玉のように見ているアスカは、それらすべてを飛び越える。

「タクト〜。こっち来て〜」

「イヤ」というタクトの声。

 ぷち。

 という音が聞こえて、あれ? 何か切れた? とシンジが思っていると、タク
トの所までダッシュしたアスカが息子を抱えあげている。

「いいから、だっこさせなさいよー」

 むちゅむちゅとタクトの頬へのキスを繰り返していると、さっきまでイヤと言
っていたタクトが「うふふ」と笑い出す。

「ママにちゅーされるのイヤ?」

「ううん」

 そんなバカなとシンジは思うが、タクトのイヤイヤ期は、この一瞬で終わる。

 反抗期は遅く来れば来ただけ激しくなるという。

 もうそろそろ来てもいいのだが、とシンジは考えている。でないとどんな反抗
が来るのかわかったものではない。

 むしろ、早く反抗期が到来し、早めに終わってくれないものかと考えている。

 それは親の都合だということはよくわかっているが、こればかりはどうしよう
もない。人間とは不条理な生き物である。


   ■■■ ■■■ ■■■


 特務機関ネルフというのは組織でいうと、碇ゲンドウを頂点とする組織だ、

 敷地でいうと地上の建物はもちろん、地下もそれに準ずる。

 地下には発令所がある黒いピラミッド、移動手段としてリニアモーターカーが
あり、広大な敷地には湖まである。

 こうした広い敷地はMAGIによって制御される無数の監視カメラで二十四時
間体制で監視されている。

 侵入者がいれば、発令所にだけ即座に警報が鳴る仕組みだ。全体に鳴らさ
ないのはネルフ内で無用の混乱を起こさない為だし、侵入者にこちらが気づい
たことに気づかれないためだ。

 タクトたちを発見したのはオペレーターだった。

「あれ? タクトくんじゃない?」

 シンジがエヴァのパイロットだった当時のオペレータは順調に出世して、発令
所にはいない。世代交代を重ねたオペレーターたちはシンジとは直接の知り合い
ではないが、その子供の顔くらいは知っている。

「あ、ホントだ」緊張の面持ちでいた他のオペレーターが、小さく息をつく。
「珍しいな。どうしたんだろう」

「あら、たっくんじゃない〜。最近、昔のシンちゃんそっくりになって〜」

 ミサトものんびりとした口調に戻っている。

 ミサトたちがモニターを見ていると、タクトたちは発令所からはかなり離れた、
ひらけた場所に立っているところだ。

 誰もいないことを確認するように、周囲をきょろきょろと見回したタクトは、
地面に黒い棒を突き刺した。

 その棒は、縦に伸び、そして横にも広がっていく。カメラ越しに、ぐわああんと
音が聞こえるような質量をもっている動きだ。

「葛城さん! これって」

 見たことのないものを目にして、オペレーターが上ずった声で上司を呼ぶ。

「なにこれ?」ミサトも誰にともなく言うが、答えが返ってくるはずもない。

「パターンオレンジ! MAGIは詳細不明と回答しています!」

 巨大化した黒い棒は、最終的に西洋風の黒い城になる。地響きを立ててようだ
砂埃が舞う。まがまがしい形状の尖塔を幾つももつ城が、ネルフの敷地に突如
現れた。


   ■■■ ■■■ ■■■


 夕飯の買い物からシンジとミライが戻ってくると、待ちかねていたかのように
家の電話が鳴る。

 買ってきたものを冷蔵庫にしまうのはミライに任せ、シンジは電話に出る。

「もしもし。ミサトさん。こんにちは。どうしたんですか? タクトですか。
そういえば、タクト今は家にいないですね。ネルフにいる? どうしてですか。
立て篭もり? 魔王ってなんですか、魔王って。黒いマントを着て城に立て篭も
って近づくと手から熱い光線を浴びせてきて手がつけられない? 誰か怪我とか
しましたか? ちょっと熱いだけ? むしろぬるい? 良かった。アスカはどう
したんですか? 今日は大事な実験中……、ああ、そっちも良かった」

 たぶんアスカが知ったら、実力で排除にかかるだろう。それにタクトが誰かを
怪我させたなんてことになったら、後でアスカが傷つくし、タクトだってそうだ。

「じゃ、今のうちに僕が言って説得しますよ。アスカの実験ていつごろ終わる予
定ですか。ああ、じゃあ晩御飯の下ごしらえしてから行っても間に合いますね」

 そう言って電話を切ったシンジは、自分を見ているミライに気づく。

「タクト、魔王になったんだって」

 ミライにしてみれば、シンジの買い物に付き合って、上手いこと父親の思考を
誘導し、夕飯の献立をハンバーグに決定させたのは彼女の功績だ。後で母と兄に
褒められていいレベルだろう。

 なのに兄が魔王って何だ。手から光線が出たら魔王なのか。

「もう〜。お兄ちゃんてホント子供だよね〜」

 自分の方が子供にも関わらずミライが大人びたことを言う。それがシンジには
微笑ましい。 


   ■■■ ■■■ ■■■


 シンジとミライがネルフに着くと、顔見知りになっている入り口のガードマン
に会釈する。

 関係者なのでIDカードを持たされている。

 長いエスカレーターに乗っている最中のこと。

 ミライは暇なときにいつもそうするように、シンジの腰に手をまわして、抱き
ついてくる。

 娘の頭を、シンジは手でもしゃもしゃとかき回しながら、タクトに反抗期が来
たってことでいいのかな、と考えた。

 ネルフの地下、ジオフロントに到着すると、スポットライトに照らされた黒い
城が見える。

 その手前には、やけに人が多い。木々の間にロープがかけられ、等間隔に提灯
がぶら下がっている。そこには緊張感など無く、まるでお祭りのような雰囲気だ。

 黒い洋城の前面を扇状に取り囲むようにして、青いレジャーシートが敷き詰め
られている。その上にネルフマークの入った制服や作業着を着た人たちが、座っ
て宴会を始めているようだ。時折、笑い声があちこちで起きる。

 見知った顔に会釈し、シンジは知らないが向こうはシンジを知っている人に声
をかけられ、それも会釈し、シンジとミライは先を進んだ。

 開けた場所、ちょうど黒い城の正面にはミサトが立っていた。拡声器を片手に
持ち、器用に腕組みしている。

 城は何本ものスポットライトに照らされている。シンジは昔のことを思い出す。
家出をして、どこまでも遠くに行ったと思ったら、あっさりと見つかったことを。
あれは恥ずかしかったな、と一人で照れた。

 どこまでも遠くへ行ったつもりだったのに、実は常に監視されていたなんて。

 その事を自分にそれだけの価値があるからだと『あの頃』に思えていたら、ま
た何か違ったのかもしれない。余計な気苦労や悲劇的な事故も避けられたかもし
れない。

 だけど、それらすべてがあって今の自分があり、家族があるのなら、ありのま
まを受け取るのが一番いいはずだ。人に対して誠実であろうした結果であるなら。

「ミサトさん、タクトはこの中に?」

 城の前に立つミサトの横にシンジは並び、挨拶もそこそこに話しかけた。

「そうなのよ〜。ネルフの敷地だから出て行かせないといけないんだけどね、正
面の入り口を開けようと近づくと、タクトくんが手から熱いようなぬるいような
光線を手から出すものだから、強行突破もできなくてね」

 そこでミサトは、まだシンジの腰の辺りにまとわりついているミライに気づき、
顔をほころばせる。

「あら〜。ミライちゅわん。大きくなって〜」そう言って、ミライの顔や頭や肩
や腕を撫で回す。

 ミライはそれを嫌がるふうでもなく、されるがままになっている。

 ミライを堪能したミサトは、シンジに顔を向けた。

「タクトくんのこれって。反抗期じゃないかしら?」

 シンジも似たようなことを考えていた。
 
「やっぱり、そうなんですかね。家に帰りたくなくて、家出した感じですよね。
でもまさかお城なんてどうやって作ったんですか」

「お兄ちゃんてば、最近、パソコンの動画で、『三ヶ月でキミも魔王!』って
いうの見てたよ」ミライが言った。

「それでなれるの?」

 そんなバカなとシンジは思う。ああした通信教育は、たいていが偽物のはずだ。

「アーサー・C・クラークの言葉で、『発達しすぎた科学は魔法と区別がつかな
い』というのがあるのよ」

 赤木リツコ博士がシンジたちの会話に入ってくる。白衣のポケットに手を突っ
込み、タバコを吹かしている。

「リツコさん」

「私が提唱したノースロップ曲面を利用した理論をもとにね、人間の手からレー
ザー光線が出せるようになったり、地上三階地下二階の建物を小さくコンパクトに
割り箸サイズにたためるようにすることは可能よ」

「えー。じゃあなんですか。リツコさんの発明ですか。これ」

 シンジは黒い洋城を指差した。

「そうよ。プロトタイプだったから、タクトくんに秘密で協力してもらっていた
のだけれど。これで上手くいけば、世間に公開できるようになるかもしれないわ」

「絶対やめてください」シンジは、ばっさりいった。「子供が秘密基地を作るよ
うなものだと思いますし、自分ひとりの居場所が欲しいっていうのは、成長の証
ですから嬉しい話ですけど。誰でも手からレーザー出せるようになったら危険で
すよね」

「言われればそうね。考えもしなかったわ」リツコが事も無げに言った。

 科学者とはそういうところがある。思いついたことが実行できそうだと思うと
結果まで考えないというところが。これは優秀な科学者になるほどその傾向はあ
る。

「それにしてもお兄ちゃんは子供だよね」とミライが言う。「こんな広い敷地だ
から、簡単には見つからないだろうと思ってお城建てたんだろうけどさ。中学生
にもなって魔王ごっこなんて」

 ミライの大人びた口調、すました表情が、最近どんどんアスカに似てきている。
シンジが出会った頃のアスカに。

「中学生くらいが一番、魔王とかに興味持つ年頃なんじゃないかな」

 シンジは自分がそうなりたいと思ったことがないので、想像の範囲を出ないが。

 皆で城を見上げる。城壁は二階建ての高さはある。

 その城壁の上に、タクトが姿を現した。黒いマントを羽織っている。アスカの
整髪料を使ったのだろうか、髪型はいつもと違い、オールバックだ。

 それまで城の黒い壁面を照らしていたスポットライトが一斉に動いて、タクト
を照らす。

「俺は魔王タクトだ! この城は今日から俺のものだ! 近づいたら光線を撃つ!
俺たちのことは、ほっといてくれ!」

 おお〜っ! と集まった人たちがどよめいた。誰かが拍手したのを皮切りに、
次第に拍手は増えていく。

「いや! 拍手とかいいから!」

 照れくさそうに手で宙をかくような仕草で、タクトが口を尖らせている。

 ガピー。とミサトが手にした拡声器が音を立てた。「タクトくん。あなたは完
全に包囲されている。無駄な抵抗はやめて出てきなさい」

 城壁のタクトが不満げな顔をしている。

「ミサトさん! なんで刑事ドラマみたいなこと言ってんの! 俺は魔王なの!」

「こういうの一度やってみたかったのよ〜!」

「ミサトさん、ちょっと僕にもメガホン貸してもらえますか」

 シンジは拡声器を受け取ると、スイッチを入れた。

「タクト! ちょっとそのまま動かないでね」シンジはケータイ電話をタクトに
向かって構えた。

「何だよ?」とタクトが聞く。

 ガピー。「写真を撮るから! ちゃんとポーズとって、魔王っぽいポーズ!」

 つい魔王っぽいポーズを取ってしまったタクトだが、すぐに我に返る。

「俺は魔王だって言ってんだろ!」

「それはわかってるけど、こういうことはちゃんと記録しとかないと、あとで
アスカにタクトだって文句言われるだろ」

「あとでも何も、俺は家に帰らないんだって!」

「そうだそうだ!」とミサトが上機嫌ではやし立てる。「タッくん。頑張れ〜!」

「いや、ミサトさんはネルフの人として、タクトをどかせなきゃダメでしょ。応
援してる場合じゃないですよね」

 シンジに指摘されてミサトは頭をかいた。この女性、ノリで動くところが未だ
にある。三つ子の魂百まで、という諺をシンジは思い浮かべた。

「あとね。タクト。キミは完全に包囲されている。無駄な抵抗はやめて出てきな
さい。ふるさとのお母さんは泣いているぞ」

「母さんがこんなことで泣くわけないだろ!」

「そういえばそうだね。あとはアスカが来たら、皆で記念写真撮って帰ろうよ。
早くしないと晩御飯が遅くなっちゃうからね」

「俺は帰らないんだって!」

「そんなこと言ってられるのも今のうちだよ。アスカが来たら、実力で排除され
るんだから」

「だから、父さんに説得されろっていうの?」

「違うよ。そんなことになったらタクトの勇姿を見逃したってアスカが悔しがる
から、むしろもうちょっと頑張ってと思ってるよ」

「なんだよ、それ」タクトは脱力してしまう。

 シンジは後ろを振り返った。マコトやシゲルにマヤ、整備班のおやっさんたち、
一般職員がレジャーシートを敷き、めいめいの位置で酒盛りを始めている。マコ
トやマヤたちはかなり上の方のポストに出世しているはずなのに、大丈夫なのだ
ろうか。ネルフという組織の先行きにシンジは少し不安を覚えた。

 借りた拡声器をシンジはミサトに返す。

「それにしても、皆すぐ集まったんですか?」

「監視カメラで発見してからすぐね。最初は誰かと緊張したけど、タクトくんだ
ってわかれば、何やってんだろうって皆も興味がわくじゃない。タクトくんが
赤ちゃんの頃から皆知ってるわけじゃない。誰に会ってもニコニコしてて、ほっ
ぺがぷんぷくりんのぱっつんぱっつんだった頃から皆タッくんにメロメロだった
わけだし」

 ミサトはまだシンジに抱きついているミライの頭をくしゃくしゃと撫で回した。

「もちろんミライちゅわんにもアタシたちメロメロよん」

「ミサトさん言い方が古臭い」

「そういう遠慮のないとこもアスカそっくりね〜」

 シンジはケータイ電話で時間を確認した。

「アスカの実験はもうそろそろ終わりますかね。晩御飯が遅くなっちゃうんですよ」

 城の前に集まった人々は、さっきよりも増えている。雰囲気としては少し大き
めなライブハウスの開演前だ。ライブに通いなれた客たちが、演奏が始めるのを
思い思いに楽しみながら待っているような。

 何が起こるかわからないが、それはきっと楽しいことに決まっている。何も無
かったとしても、楽しみに待っている時間はそれ自体が楽しいからいいのだ。

「俺は!」 タクトが話しだそうとした。

 おおっ! ネルフご一行の期待が膨らみボルテージが上がっていく。

 シンジは慌てて手を振り、息子を制止する。

「はい。シンちゃん」

 そう言ってミサトから手渡されたのは拡声器。

 ガピー「タクト! タクト! ちょっと待って! アスカまだ来てないから!」

「いや何言ってんだよ! 俺は魔王だぞ!」

「どうせアスカが来たら、もう一回同じ話をしろって言うよ。そしたら断れる?
無理だろ。そしたら二度手間だよね」

「じゃあ、待つよ! でもな! 俺は魔王なんだからな!」

「シンジくん。タクトくんにおひねりを投げていいかね?」

 隠居したはずの冬月元副司令までいる。アルコールのせいで顔が赤い。

「教育上、中学生の間はあまりお金を持たせないようにしてますので、来年のお
正月にお年玉でお願いします」

 それだって、シンジが預かって貯金しているのだ。ネルフ関係者からのお年玉
だけで、タクトの預金通帳は高級外車が買えるだけの額になっている。


   ■■■ ■■■ ■■■


 夫からの電話を受けて、アスカの心は高鳴っている。

 早く早くと焦る気持ちを無理やり落ち着けさせている。

 こんなことなら実験の予定を入れるんじゃなかった。

「アスカ。行くわよ」と呟くと、アスカは移動用カートに飛び乗った。


   ■■■ ■■■ ■■■


 シンジたちの前に、一台のカートが現れた。

 ドライバーは赤い髪をなびかせているので、それがアスカだと遠目にもわかる。

 カートは元からスピードが出るようには作られていないから、相当じれたのだ
ろう。アスカはブレーキもそこそこにカートから跳ぶようにおりた。

「タクトがグレたんだって!?」

「まあ。正確に言うと魔王になったんだけどね」  

 シンジに言われて、アスカは城壁の上のタクトに目をやった。

 食べ物飲み物を要求していたタクトは、綾波レイから炉端焼きの長い棒でコーラ
二本とポテトチップ、イカの燻製を受け取っているところだった。

「綾波ちゃん! ありがとう! 悪いんだけど、肉っぽいものないかな?」

「お肉、嫌いだから」

「ああ、うん。はい」

タクトの手が何か言いたげに宙をかく。十四歳のタクトが綾波の相手をするのは
まだ少し難しいようだ。

「フランクフルトならあるけど」

「あ、じゃ、じゃあ、それ二本ある?」

「あるわ」

「じゃあ、それ頂戴〜」

 という会話に、アスカが割り込んだ。手には拡声器を持っている。

 ガピー。「タクト! あなたは完全に包囲されている! 無駄な抵抗はやめて
そこから出てきなさい!」

 急に大声で呼ばれたタクトはびくっと身震いしたが、すぐに体勢を戻した。

「なんで皆メガホン持つと刑事ドラマのセリフ言うんだよ!」

「今お前のお母さんをここに呼んだところだ!」

「お母さんって、母さんがお母さんだろ! 自分のことじゃないか!」

「一度やってみたかったのよ」アスカはコホンと咳払いを一つ。

「それで、なんで魔王になったの?」

「家に帰らないからだよ」

「なんで家に帰りたくないのよ。シンジに怒られた?」

「怒られてないよ」とタクト。「怒ってないよ」とシンジ。

「じゃあ、なんでよ」

「理由はないけど、しいて言えば、色々考えた結果だ!」

「あ、そう。じゃもっとそのことについて考えなさい。アタシがアンタの年には、
もう自分の将来とか大まかに決めてたし、だからアンタが決めた結果として魔王
になりたいってんなら止めやしないわ。ただ一つ、アタシが言いたいのは、やる
からには一番を目指しなさいってことだけよ。どうせやるなら一番をね!」

 その場にいた酔客たちは、アスカとタクトのやり取りを聴いていて、何故か拍
手が起こる。

 アスカは慣れたもので、余裕の表情で手を振り、あちらこちらと笑顔を向ける。
彼女の視界に綾波レイが映った。

 静かに佇む彼女は、相変わらず年を取らず、少女のままだ。まるで絵画から飛
び出してきたかのように幽然としていて、現実味がない。

 シンジたちのそばに立っているのに、壁の花、という表現がぴったりだ。

「アンタはもう拡声器使ったの?」アスカが綾波に聞く。

「まだよ」

「遠慮しないで何か言えばいいのに。せっかくの機会なんだからさ」

「そう思ったけど、母親のあなたが私より先に話すべきとも思ったから」

 その言葉にアスカは少し感動した。「……ありがとう」

「いいえ。気にしないで。絆だから」

 拡声器を手にしたレイはタクトを見る。

「碇くん」不思議と彼女の時は、拡声器からガピーという雑音が出ない。

「「はい」」と同時にシンジとタクトが返事をする。

 あ、僕じゃないよね。とシンジが慌てて首をすくめた。

「あなたは完全に包囲されているわ。無駄な抵抗はやめて、おとなしくそこから
出てきなさい」

「綾波ちゃんもかよ! あと俺はタクトだってば」

「タクトくん。どうしてこんなことするの」

「いや、なんか魔王になって城に篭もれば、家に帰らなくていいかなって」

「それは根本の理由ではないわ。家に帰りたくない理由を話そうとしたの」

「話そうとした!」

「なぜ話そうとしないの」

「話そうとしたんだ!」

 シンジがたまらず口を挟んだ。「あの、綾波?」

「なに」

「悪いんだけど、ちょっとそのくだりやめてもらえないかな? なんかこう、
いろいろ思い出して胸が痛むというか……」

「そう、良かったわね」

「全然良くないから言ってるんだよ」

「タクトくん。碇くんに言えないことでも、私に言えるなら言えばいいわ」

「いや、でも、こっちにもタイミングがあるっていうか……」

 改まって聞かれるといい辛くなるものだ。タクトはもじもじした。

「綾波ちゃん。次はアタシ〜」

 碇家の子供たちは綾波レイを綾波ちゃんと呼ぶ。他になんと呼びようがあるの
だろうか。他人行儀に綾波さん? 少女の姿なのにレイおばさん? 本人も子供
たちに綾波ちゃんと呼ばれて喜んでいるようなので、シンジたちもあえて他の呼
び方にするよう言ったりはしていない。

 綾波はミライに拡声器を手渡した。

「あたしもお兄ちゃんに言いたいことあるけどいいかな〜。刑事ドラマのセリフ
はさっき言ったから、今度は普通に言いたいこと言う」

 拡声器を受け取ったミライに、拍手が起こる。彼女は母のように衆目を集める
ことに慣れていない。それで照れたように『えへへ』と笑い、その後、タクトに
向き直る。

「お兄ちゃーん!」

「なんだよ〜」

「大事な話だからよく聞いてね。今日は父さんがハンバーグを作ります。だけど
お兄ちゃんは魔王になって家に帰らないから、うちで晩御飯食べないよね? で
も安心して、アタシがお兄ちゃんの分のハンバーグ、ちゃんと食べとくから」

 それにアスカが反応した。

「え? 今日ハンバーグなの? じゃ、アタシもタクトのぶん食べるわ。ミライ、
一個ずつだからね」

「えーと」タクトはハンバーグに心惹かれているようだ。後ろを振り返ったりし
ている。帰らないという決心がグラついているのだろう。

 アスカとミライはハンバーグの取り分を話し合っているが、シンジは子供の教
育方針として、何かの罰で『ご飯を食べさせない』ということは絶対にしない。
そして今回のような理由から家でご飯を食べないというのも絶対に認めない。

 碇家で一番意志が強いのはシンジなのだ。

 シンジは拡声器をとった。

「タクト。僕はタクトが何になっても良いと思うよ。アスカと同じだけどね。な
りたいものになればいいんだ。何々じゃなきゃダメってことはないよ。タクトが
本当に魔王になりたいならればいいと思う。それでもタクトが僕の子供だってこ
とは変わらないからね。誰かが言ったからやるとか、やらないとか決めなくてい
いんだよ」

 タクトは黙ってシンジの話を聞いていた。アスカもミライはシンジの横顔を見
ている。

「ただ今回は、ちょっと違うよね。タクミくん、そこにいるんだろ?」

 ミサトが小さく「あっ」声を上げた。すっかり忘れていた。最初から二人いた
のに一人がタクトだったので気を抜いていた。飲み物を要求した時だって、コー
ラ二本だったし、食べ物も分け合えるものだったではないか。

「なんでわかったの?」

 タクトに訊かれてシンジは胸を張る。ちょっと得意げだ。

「わかるさ。だって親子だもの。タクトが自分のためにこんなとこに立て篭もっ
たりとかするわけないからね。誰かのためなんだろうなって思ったんだ」

「ごめん」タクトは振り返ると誰かに謝った。城壁の向こうでシンジたちからは
見えないが、そこにタクミくんがいるのだろう。「バレちゃったよ」

 優しげな顔の少年がおずおずと出てきて、シンジたちに頭を下げた。

「僕のせいで、すいません」隣のタクトにも謝っている。「ごめん。タッくん」

「いいよ。俺がやりたくてやったんだから。塾行きたくないって言ってたじゃん。
だから、やっただけだからさ」

 アスカとミライに抱きつかれながら、シンジは拡声器を使った。 

「タクミくん。塾に行きたくないなら、一回くらい行かなくていいけど、おうち
の人に黙って行かないのは良くないよ。とりあえず、今日のところはうちでご飯
食べていきなよ。おうちの人には僕から連絡しておいてあげるから」

 せっかくシンジのいいシーンなのに、母と娘はシンジにくっつく面積の取り合
いをしている。

「うちの父さんのハンバーグ、美味しいのよ。あとちょっと母さん押さないで」

「アタシが鍛えたからね。ミライこそシンジにくっつき過ぎよ。これアタシんだ
からね」アスカは何故か得意そうだ。

 それはいつものことなので、シンジは抱きつかれたままの状態で、綾波に差し
入れの礼をする。

「綾波。ありがとう。タクトたちがご馳走になったみたいで」

「いいのよ。絆だから」

 綾波の言葉にシンジはもう反応に困ることはない。エヴァのパイロットとして
過ごした時間や、それから時間が、その言葉に確かな意味を持たせている。だか
ら「そうだね」と肯定するだけだ。

「いやー。腹減っちゃったよ父さん」

 無邪気な顔でタクトが城から出てきた。こういうところは、まだまだ子供だな
とシンジは、それが面白い。

「お城の中に、食べ物くらいありそうだけど。何か無かったの?」

「それがさ、城の中に貯蔵庫みたいのあって、でっかい肉とか魚とかあったんだ
けどさ〜。道具もないし、料理の仕方とかも俺わかんないし。食えなかったんだ
よね」

 それを聞いたシンジの眼が、キラーンと光った。

「魔王になるとそんなこともできるの? 凄いな魔法って」

「魔法ではないわ。『発達しすぎた科学』よ」とリツコが訂正した。

「リツコさん。それについて、ちょっとお願いがあります」


   ■■■ ■■■ ■■■


 タクト篭城事件から三ヵ月後の十二月四日のこと。

 発令所にて、ミサトは考えている。

『今日はアスカの誕生日よね〜。プレゼント、まだ何も考えてなかったわ。どう
しようかしらね〜』

 ネルフ発令所に警報が響き渡る。

「誰? まさかまたタッくんじゃないわよね」

 オペレーターが振り返った。「あのー。碇シンジさんなんですけど」

「はい?」

 モニターには確かに碇シンジが映し出されている。

 ミサトたちがモニターを見ている場所は、前回タクトが城を建てた場所だ。

 誰もいないことを確認するように、周囲をきょろきょろと見回したシンジは、
地面に黒い棒を突き刺した。

 その棒は、縦に伸び、そして横にも広がっていく。カメラ越しに、ぐわああんと
音が聞こえるような質量をもっている動きだ。

「まさか、夫婦喧嘩?」ミサトが言ったが、返事は誰からも返ってこない。


   ■■■ ■■■ ■■■


「ちょっとシンジくん何やってるのよ」

 拡声器でミサトが呼びかけるが、シンジはなかなか出てこない。

 しばらく待っていると、カートを運転したシンジが出てきた。黒いマントが
はためていている。

 カートの後ろには、一抱えもある肉、体長三メートルはあるマグロに似た魚、
みずみずしい色の野菜がいっぱいに乗っている。

「あれ、ミサトさん。もうバレちゃいましたか」

「どうしたの?」

「いやー。今日はアスカの誕生日じゃないですか。プレゼントは前から用意して
あるんですけど、料理をどうしようかなと悩んでて、それでタクトが魔王になっ
た時に城の中に食材がいっぱいあるって聞いたんで、じゃあそれを使おうかなって」

「じゃあ何? シンジくんはあの時から魔王になる動画見て、練習してたの?」

「けっこう大変だったんですよ。アスカがいるところじゃ練習できなくて。ギリ
ギリ間に合って良かったです。あ、そうだ。今日のパーティは十九時からですか
らね。忘れず来てくださいね」

「愛の力って凄いわね〜」

「そうですね」

 それを照れるでもなく、流すでもなくシンジは肯定する。

 かくして、誕生日パーティは盛大に行われる。

 さあ、皆で彼女にお祝いを言おう。

「誕生日おめでとう」


(了)