珍しくアスカとシンジの意見が対立している。

 S2機関の稼動実験にアスカが参加することについて、シンジが反対している。

 こんなに噛み合わないのは、二人が結婚してからは、アスカがネルフで働くと言った時。
それと子供の教育方針で意見が食い違った時くらいだ。

 S2機関とは、使徒の体内に存在した永久機関である。

 過去の使徒との戦いで人類はこれを入手しているが、あれから十年以上経っても、実用化
するには至っていない。

 その為の実験を、ネルフに所属する碇アスカと赤木リツコの合同チームで行おうとしてい
るのだ。

 シンジは実験それ自体には反対ではないが、アスカが参加することに反対している。

 彼は組織外の人間だ、と言ってしまえばそれまでだ。だがアスカとしては自分が参加する
ことを、賛成できなくても理解はしてほしい。

 碇シンジはネルフにとって重要人物だ。『あの頃』、彼の働きがなければ、今の文明は無
かった、と言っても過言ではない。

「昔、S2機関の実験をして米国第2支部が消滅したんだよね」

 シンジは体の不調を訴えるような顔つきでいる。すでに実験が失敗した時のことを心配し
ているのだろう。

 それにアスカは反論する。

「あれは遮るものが無い、開けた土地で実験したからよ。今回は地下の実験場よ。あそこに
防壁が何百枚あると思ってるの。万が一のことがあっても、地上に被害が及ぶことはないわ」

「そうじゃないよ。失敗したら、アスカはどうなるのって話だよ」

 シンジが心配しているのはアスカのことなのだ。

 アスカもそれがわかっている。わかっていても、噛み合わないことはあるのだ。

 彼女としてはS2機関の稼動実験は必須のことだと考えている。それは子供たちの未来の
為になることだ。

 シンジだって子供のことを思っている。そしてアスカのことも考えている。

 アスカはシンジが納得してくれることを望んでいる。実験に失敗した時のことを心配しな
いで欲しい。

 ずいぶん身勝手なことだと自分でも思うが、これは科学者としての業だろうと彼女は自嘲
気味にとらえている。


   
シンプルライフ第九話
   
『プレゼントは実験の後で』前編


 毎週日曜日、タクトは早く起きて、特撮のテレビ番組を見る。

 いわゆるスーパー戦隊ものというジャンルで、今放映しているのは、神槍戦隊ランサー5
というタイトルだ。

 それは男の子なら誰でも一度は通る道。

 アスカが番組のタイトルを覚えているのは、アスカとシンジの友人が出演しているからと
いうのもある。

 驚いたことに、イエローの役を鈴原トウジがやっているのだ。それでアスカも話自体には
興味がなくても番組をタクトとシンジと観ている。親友の旦那さんがテレビに出ているのだ、
見て応援しないでどうする。

 本音をいえば、番組よりも、それを観ているタクトをアスカは見たい。

 最初は座布団の上に座り、静かに観ているタクトだが、番組が佳境に入ってくると、彼は
膝立ちになる。五体のロボットが変形合体する頃には、立ち上がって夢中で観ている。

 子供が何かに夢中になっているところを見るのは、親にとっての幸せだ。

 アスカはタクトの邪魔をしないように、必死に耐える。抱きしめたい衝動を必死に抑え込
む。今ではないのだ。番組が終わったら、満足げな笑顔で母を見るタクトなら抱きしめていい。

 早く。早く番組終わりなさいよ、と日曜日の朝のアスカは焦れている。

 そして彼女の楽しみはまだ終わらない。話の最後で、イエローがベタなギャグを言うのだ。

「カレーを食べて、おつカレーってな」今回はそんな感じだった。

 そして、戦隊のメンバー全員がずっこけるのがお約束になっていて、テレビの外のタクト
も待ち構えていたかのようにずっこける。

 これが親のひいき目を差し引いても、いいずっこけ方なのだ。

 タクトって、ずっこけの天才じゃないかしら、とアスカは思う。

 まあ、単なる、親バカだ。


   ■■■ ■■■ ■■■


 アスカは悩んでいる。

 毎年のことだ。

 毎年六月七日から既に来年のシンジの誕生日はどうするのか考え始めている。

 本人に訊いても、

『アスカと子供がいるから他に欲しいものはないかな』

 とこうだ。

 いやいやと。それは違うんじゃないかと、アスカは考える。

「じゃあ十二月四日のアタシの誕生日だって何にもいらないわ」

 というと、シンジはこの世の終わりみたいな顔をする。

 彼はアスカの誕生日を祝いたいのだ。

 ならアンタの誕生日も、アタシに祝わせなさいよ!

 というのが毎年の恒例行事になりつつある。

 アスカも段々と思い始めてはいるのだ。欲しい物をそのままあげるってのも芸がないなと。

 だからと言って、それで気にいらないものをあげたらどうしようかという不安もある。

 誕生日は一年に一回のイベントだ。

 失敗したら次に来る挽回のチャンスは一年後だ。

 そう思うとアスカは、失敗できない、というプレッシャーにさいなまれる。夢に見るほどに。


   ■■■ ■■■ ■■■


 今日は朝からシンジが出かけている。まあアスカが半ば追い出すような形で外出させたの
だ。

 自分が子供たちとヒカリの家に遊びに行くのに、シンジに一人で留守番させるというのも
気がひける。

 ダイニングのテーブルには、シンジが用意してくれた朝食のスクランブルエッグとサラダ
がある。皿に家族の分が分けてラップにかけられている。

 あとは自分でパンを焼くだけだ。

 自分も用事があったはずなのに、とシンジのマメさ、要は家族への気遣いにアスカの機嫌は
よくなってくる。 

 自分もこういうことが家族にできているだろうかと考えたりもする。

 アスカが朝ご飯を食べていると、タクトが起きてきた。

「おはよ」とアスカが声をかける。タクトが半分寝ぼけたように「おはよう」と返す。

「ママ、おしごとは?」

 自分が起きた時に母がいるのを、子供ながらにいぶかしんでいる。普段はいないから。

「きょうはおやすみなのよ」

 とアスカが言った途端、タクトの顔がぱあっと明るくなった。

 眠たげだった目は開かれ、口からは笑いがこぼれている。

 今日は一日、ママがいるんだ! という顔だ。

 興奮したタクトが、脳天から突っ込んでくるのを、アスカは椅子から立ち、抱き上げる。

 アスカと向き合う形になったタクトは、彼女の肩に顔をくっつける。彼女も自分の頬や額
や唇と色んな場所を、タクトにくっつける。

 それは儀式めいた、愛情表現だ。

 ひとしきり繰り返して満足したようで、タクトはアスカから離れた。名残惜しくアスカは
感じる。

「ボク、ミライ起してくる!」

 母を独り占めしても、すぐに妹のことに思い至れるところが凄いとアスカは自分のことの
ように誇らしい。

 自分だったら無理だ。恥ずかしながら業が深いという自信がアスカにはある。

 絶対に独り占めして渡さないくらいの自信が。

 しばらく、子供たちが自分に向かって駆けてくる足音を待っていたアスカだが、全然来な
い。

 遅いな、と様子を見に行ったアスカは、その光景を目の当たりにして吹き出した。

 ミライは布団の上で幸せそうに寝ているし、タクトも妹の隣ですやすやと寝ている。

 どうも起しに行ったタクトは、寝ぼけたミライに、とんとんされて寝てしまったようだ。

 朝ご飯食べるなら今のうちかしらね、とアスカは思った。

 一人で食事をしていると、考えることが多くなる。

 例えば、シンジへのプレゼント。

 本人に直接訊いても芳しい答えは期待できない。たぶん、彼はもう満ち足りているのだ。

 いわば完全な円である。それを維持するのに、足すものも引くものも必要無いのだ。

 それでも。

 プレゼントが無いというのは、ありえないとアスカは信じている。

 本人から聞き出せないなら、外堀から埋めていくしかないだろう。

 二人の共通の友人知人に、それとなく聞いていこうと決める。本人に直接聞いても埒が開
かない。

 調査するなら、シンジが外出している今日だろう。というかそれもあって彼には出かけて
もらっている。

 アスカは起きてきたタクトとミライにくっつかれながら、そこまで考えた。

 親のアスカから見て、お兄ちゃんのタクトは遠慮しいではないかと思っている。

 逆に妹のミライは活発で、たまにタクトの面倒まで見る。

 アスカは二人に今も抱きつかれたままでいるのだが、タクトが自分に抱きついて来る時、
ミライが抱きつくスペースをちゃんと空けてあげているのがとても嬉しい。

 正直、子供にここまで求められると、凄く嬉しい。

 二人の子供にご飯を食べさせると、アスカは腰に手を当て、宣言するように言う。

「タクト、ミライ。ママ出かけるから、アンタたちもお外いく準備するのよ」

「「わかった」」

 完全なるユニゾンで返事が返ってきた。

 タクトは最近お気に入りの野球帽がある。買う時にアスカが似合う似合うと褒めたら、本
人もその気になったのだ。

 それとお気に入りの水筒もタクトは忘れない。

「パパの麦茶もってく」

 シンジがマメなのは今も昔も変わらない。

 子供たちのために、毎日のように麦茶を作っている。それをタクトは『パパの麦茶』と
呼んでいる。

 タクトが外にまで麦茶を持っていこうとするのは、今はまっているテレビ番組に影響を受
けているからだ。

 特撮番組の神槍戦隊ランサー5という番組だ。

 その戦隊のリーダーが銀色の髪をなびかせ、爽やかに言うセリフがある。

「僕たちは、自分で用意したものしか、飲んだり食べたりしないよ」と微笑みつつ言うのだ。

 子供だけでなく、お母さん方までとりこにする笑顔だ。

 どこに敵がいるかわからなくて、しかも敵が戦隊のメンバーを隙あらば毒殺しようとする
という、斬新すぎるスタイルの話で、だから主人公たちは絶対に外食をしない。

 斬新すぎて本来ならレッドがリーダーであるはずなのに、ランサーシルバーがリーダーだ。
しかもそれを演じているのは渚カヲルである。

 すべてのオーディションを微笑みだけでクリアしてきたらしい。

 人たらしここに極まれり、という話だ。

 そのシルバーの言葉をタクトは真に受け、頑なに守っているし、番組を観ている他の子た
ちもそうなっている。

 おかげでスポンサーである食品メーカーは期待した売り上げが上がらず大激怒。番組存続
の危機。という話をアスカは噂で聞いたような聞かないような。

 ミライは女の子なので、そういったことは気にしない。

 アスカは自分の大きなトートバッグにミライの水筒と、タオルとバンドエイドと、その他
子供たちに必要なものをドンドン放り込んでいく。

「アンタたち、いくわよ」

 颯爽と家を出た。

 向かうのは、アスカの親友であり、シンジと料理で切磋琢磨する仲である鈴原ヒカリの家だ。


   ■■■ ■■■ ■■■


 鈴原トウジといえば、彼を知る誰もが、将来は体育教師になるだろうという漠然とした
イメージを持っていた。

 その彼がアクション俳優になったので、誰もが驚いた。

 驚かなかったのは洞木ヒカリだけで、そこは流石と言うべきだろう。

 知ってたの? とアスカが訊いたところ、

「だってトウジって、少年みたいなところあるから」

 というわかったようなわからないような、ヒカリにしかわからない答えが返ってきたこと
がある。

 トウジは、中学の頃にドはまりしたカンフー映画に、そのまま今もはまり続けているのだ
そうだ。

 それを職業にできるのだから、それはそれで凄い話だ。

 トウジの恋愛部分に関していえば、彼は洞木ヒカリと結婚している。こちらは誰も驚かな
かった。

 誰もが知っていたから。

 今の所、二人の間に子供はいないが、まあその内に、ということになっている。

 そう。この世界ではトウジは足を怪我なんてしていないのである。たぶんシンジが何か
上手いことやったのだ。だから怪我とかしてないのだ。

「タクトくん、ミライちゃん、いらっしゃい。」

 アスカとの挨拶もそこそこに、ヒカリはタクトとミライを見て、相好を崩した。

「「こんにちは」」

 二人とも丁寧にお辞儀して挨拶するのが、人の子とはいえ、ヒカリとしては、見ていて微
笑ましい。

(アスカと碇くんの小さい頃も、こんな感じだったんでしょうね) 

 旧友の昔に毎回思いを馳せてから、ヒカリはアスカたちをリビングに通す。

 アスカたちはソファに座らずに直接床のカーペットに座る。いつもの訪問スタイルだ。

 ソファだとミライが転げ落ちかねない。タクトは既に二度ほどソファから落ちている。

 そうすると、呼ぶ方も呼ばれる方も、気兼ねしてしまうので、最初からアクシデントの種
は摘むにかぎる。

 アスカの両サイドから子供たちがしがみついた。母親との時間を一分一秒惜しむかのよう
に。慈しむかのように。

 コアラの親子みたいね、とヒカリはついつい微笑んでしまう。 

 そこで、タクトが肩から提げた水筒にヒカリは気づく。

「タクトくんは、水筒を持ってきたの?」

「そう! 『僕たちは、自分で用意したものしか、飲んだり食べたりしないよ』」

 この戦隊ものに鈴原トウジもイエローで出演している。主にカレーを食べたり、岩にはさ
まってしまった人の岩をどけて助けたり、最後にベタなギャグを言って周りをずっこけさせ
たりする役だ。

 アスカがそのことで、ヒカリをからかったことがある。

『戦隊ものって、二枚目しか採用されないと思ってたわ』と。

 対するヒカリは余裕だ。

「あら。うちの旦那は、いい男よ。世間が知らないだけだわ」

 それからアスカの親友は、悪戯っぽく笑って付け加えた。

「それと、トウジ本人もね」

 水筒の話題が出たところで、タクトが肩から水筒をおろした。

「ママ。ボクはパパのつくった麦茶をのむよ」

 タクトは肩にかけていた水筒を机の上に置く。

 幼稚園に入ることになった時にタクトは、アスカとシンジを、もうママパパと呼ばない、
母さん父さんと呼ぶと言い出して、二人を慌てさせた。

 そんなに急いで大人にならなくていいのだ、というのが二人の言い分。

 ボクはもうお兄ちゃんなのだ、幼稚園に行くから。というのがタクトの言い分。

 親の呼び方を変えるというのは、子供の成長の証だから、それをシンジとアスカも十分に
尊重したいが、心の準備がまだできていない。

 シンジとアスカの親は、正直な話まともではなかったし、エヴァのパイロットになってか
ら知り合う大人たちも大概が、いわゆるアダルトチルドレンだった。

 少年の心を忘れないというか、どちらかと言うと、大人に成りきれていない大人ばかりだ
ったので、ちゃんとした大人とか、あるべき親の姿とかが、まだシンジとアスカには準備が
できていない。

 小学校! 小学校に入ったらそうして! とアスカは懇願した。

 すっくと立つタクトの前で、膝立ちになり、彼の両肩を抱いて、とにかくアスカは必死だ
った。

 それを感じ取ったのか、元から優しい性格だからか、タクトは承諾する。

 どうにか三年の猶予をもらったシンジとアスカは、それまでにしっかりとした大人になる
しかないね、とその夜に話し合ったものだ。

 タクトが生まれた時、周囲の大人たちは、大きな喜びと少しの不安を抱えたシンジとアス
カに対して、子供と一緒に大人になるから大丈夫、と口々に言ったものだ。

 今考えれば、彼らの言うことを真に受けてはいけなかったのだ。碌な大人じゃない人ばか
りだったのだから!

 まあ、それでも、世の親子関係では、子供が先に親から離れ、親はその後、大丈夫なこと
を確認して、子供から離れるものなのかもしれない。


    ■■■ ■■■ ■■■


「で? 今日はどんな用事?」

 ヒカリが聞くと、アスカは話し出す。

「もうすぐシンジの誕生日じゃない?」

 そうしてアスカは話し出した。

 グラスの中の氷が、音を立てる。

 アスカの話を聞き終わったヒカリは、うなずいている。
 
「まあねえ。うちも大変なとこはあるわよ。何が欲しいって訊いても、トウジったら、
『ジャージ!』だもの」

「そこは今もブレないのね」

「そうなのよ。たまにはもっと大人っぽいものは欲しくないの? って言ったら、
『大人っぽいジャージ!』だもの」

「アンタはアンタで苦労してんのねー」

 奥様方は苦笑する。

「碇くんが欲しいものを言ってないか、トウジに聞いておくね」

「お願いね」

 と言って、アスカは立ち上がる。

 次は綾波レイの家に行くのだ。


   ■■■ ■■■ ■■■


「あやなみちゃん」

 うふうふと笑いながら、タクトが綾波レイの腕に体を寄せている。

「なに?」

 彼女の声には、表情がないが、タクトは気にする様子がない。子供だからなのか、彼女の
声の奥深くに何かを感じ取っているか。そこのところがアスカにはまだわからない。

「ボクね、きょうは、麦茶もってきたの」

「そう。よかったわね」

「あやなみちゃんも、のんでいいからね」 

「ありがとう」

 軽やかにスキップしながら、タクトがアスカの元に戻ってくる。今の会話で、タクトは大
変満足げで、かつ得意げだ。正直、この二人の会話がアスカにはよくわからない。

 二人にはそれで通じるものがあるようだ。

「あやなみちゃん」

 今度はミライの番だ。

「おんなのこはおしゃれしないとダメよ。アタシがおリボンつけてあげる」

「そう。お願いするわ」

 小さな手が、綾波の頭にリボンを結んでいる。

(もしもしお嬢さん)アスカは心の中でミライに呼びかけた。(アンタのリボンはアタシ
が結んでるのよ)

 まだ二歳になるかならないかなのに、ミライは沢山のお話しができる。生後四ヶ月で、
シンジに「パパ、だっこ」と言ったものだ。アスカは生後三ヶ月でママに抱っこを要求した
ので、これは自分の方の遺伝だろう。

 口が達者なミライだが、手の方はそこまでではない。リボンを結ぶ手つきがたどたどしい。
それでも二歳という年を考えると驚異的だが。

 アスカは真剣なミライの姿と、それを受け入れているレイがおかしくって仕方ない。

 いつもの無表情と違って、綾波レイの顔が神妙になっているように見えるのが、さらに面
白い。

「はい。できた」とミライが言う。

 実際は全然できていない。ミライがつけたリボンは、綾波の頭で鎮座ましましているが、
まっすぐではなく、ずっこけている。

 それでも綾波は自分で見えないからか、「ありがとう」と礼を言った。

「ちょっとアンタたち、どれだけレイのこと好きなのよ」

 そう子供たちにアスカは言うが、結局、自分のところに子供たちは帰ってくるから、まあ
いいのだが。

 そんなアスカにミライが耳打ちする。

「だいじょうぶ。ママにもあとでおリボンつけてあげる」 

 耳元で囁かれるのは、くすぐったいけれど嬉しい感触だ。

 幸せの手触りとは、こういうものだろうとアスカは考えている。

 それが正解なのか知らないが、別に答え合わせが必要なわけではない。

「それで、今日はどうしたの?」

 ずっこけリボンの綾波が訊いた。

「もうすぐシンジの誕生日じゃない?」

 昔なら、綾波レイに相談してアドバイスを受けるなんて考えられなかったアスカだが、今
は素直に相談できる。レイは言葉数が少ないので、どういう意味か推し量るのに苦労する時
はあるが。

 そして綾波の答えはこうだ。

「碇くんの欲しいものは聞いていない。あなたが彼にあげたい物をあげたら」

「それでいいのかしら」

「人から貰ったものを使ううちに、自分の知らない自分に出会ったりできるものよ」

「そういうこともあるかもね」

「そしてあなたが、彼にこうなって欲しいという気持ちもそこには含まれている。だからあ
なたがあげたい物をあげるのもいいと思うわ」

 なかなか良い事を言うものだ。ただし、綾波レイは手に何かの本を持ち、それを読み上げ
ている。

「ちょっと。それ本の受け売り?」

「そうよ。人間の感情を学び、人生を豊かにするのに、本は必要だわ」

「まあ、そうだけどさ。せめて、一度自分の中をくぐらせてから、自分の言葉で言って欲し
かったような」

「そう。次からそうするわ」

 たしかに綾波レイの言うとおりで、彼の欲しいものを探してプレゼントするのもいいが、
アスカが自分で見つけた物をプレゼントするのもいいかもしれない。

 もらうシンジだって、ドキドキしたりワクワクできるだろう。

 そこへいくと即断即決の彼女だ。今年はそうしてみようか、とその場で決めた。


   ■■■ ■■■ ■■■


 アスカが決心するのを待っていたかのようなタイミングで、渚カヲルが帰ってくる。

「ただいま〜」

 と朗らかな声とともに、カヲルがリビングに入ってきた。

 レイとカヲルは一緒に暮らしているのだが、恋人、というわけではないのだそうだ。単な
る同居人だという。

 その辺をアスカは詮索する気はない。皆、大人なのだし、丁度良い距離感は誰にだって必
要なのだ。

「やあ、来てたんだね。いらっしゃい」

 にこやかな笑顔でカヲルがそう言うと、タクトが、ほーと声を上げる。

「ランサーシルバーだ!」

「タクトくん、こんにちは」

 タクトはテレビで観ているヒーローと会えて、嬉しいのと恥ずかしいのと、その他いろい
ろなものがないまぜになって、アスカの背中に抱きつき、カヲルから隠れてしまう。

 カヲルが役者としてランサーシルバーを演じていることが、幼いタクトにはまだわかって
いない。

 子供に尊敬する人を尋ねると、父母をあげることが多い。親が尊敬できるというのは素晴
らしいことだ。

 タクトはまだ子供だから尊敬、という概念を理解できていないが、ランサーシルバーを見
上げる眼差しは、十分に尊敬の念が含まれている。

 カヲルはタクトの持つ水筒に目をやってから、レイと目を合わせた。

『冷蔵庫にジュースあったんじゃないの?』とカヲルが目で会話する。

『あるわ。だけど誰かさんのせいで、タクトくんは、自分で用意したものしか飲んだり食べ
たりしないわ』

 綾波レイはカヲルに対して、最近覚えた、当てこすりのスキルを使った! 使うのはカヲ
ルにだけだが!

『ああ。そうか。それは嬉しいような残念なようなだね。ちょっと脚本家と相談してみるよ』

『そうすれば』

 と、二人の目だけの会話はそこで終わる。


   ■■■ ■■■ ■■■


 自分発信でプレゼントを選ぼう。そうアスカが決めたある日、彼女は骨董屋の前を通りか
かった。

 普段の彼女なら、古いものにあまり興味はわかない。

 今はちょっとした心境の変化がある。

 例えば服だって自分が持っていない色の服を買うようにすれば、ファッションのバリエー
ションを増やせるように。

 いつも入らない店に入ってみることで、いつもなら知ることの無いものが、シンジへのプ
レゼントの選択肢になる事だってありえる。

 木造の店内は、天井から吊り下げられた古めかしい照明が、柔らかい橙色の光を放ってい
る。

 その光に照らされる所狭しと並べられた骨董品の数々。

 陶器の白い肌をした人形。アスカより大きな置時計。黒いタイプライター。白い犬が蓄音
機の隣にいる置物。

 ロッキングチェアー、日本語だと揺り椅子か。シンジは好きそうだなとアスカは思ったが、
たぶん場所を取るからすぐに邪魔になる。

 店内の置くに陣取る店主の老人は、丸いメガネをかけ、ニットの丸い帽子をかぶり、白い
シャツにベストという出で立ちで、雰囲気は十分だ。

 向こうから話しかけてくるでもなく、こちらを見るでもなく、丁度良い距離感だ。

 店主は店の風景の中にいるアスカを邪魔に思っていないし、アスカも店の風景の一部とし
て老人を見ている。

「あら?」

 いろんなものがあるのねー、と感心しながら店内をぶらぶらしていたアスカは、銀色の腕
時計を見つけて、小さく声を出した。

 その腕時計は、黒い時計用の箱に入っていた。

 彼女の注意をひいたのは、箱の前に置かれた小さなカードだ。

 そこには腕時計が日本のメーカーであることと、値段が書いてあった。

 多少は安いんだろうな、と男物の時計に詳しくないアスカでも思う値段だ。

 同じようなものを新品で買った方が高いはずだ。

 値段だけで言ったら、シンジへのプレゼントにするには物足りない。

 それでもアスカが気をひかれたのは、製造年だ。2001年製と書いてある。

「シンジが生まれた年よね」自分が生まれた年でもある。

 2001年という年は特殊な年だ。前年にセカンドインパクトが起きたせいで、食料や物
資を含めて、製造されたものは少ない。

 そして人類未曾有の災害を思い出すということで、どちらかというと、2000年製や
2001年製というのは忌避される傾向があるのだ。

 それでも2001年生まれの人間にとって、その年は大っぴらには言えないかもしれない
が、特別な年なのだ。

 腕時計は基本銀色で、丸い文字盤は白。時針と分針のデザインがアスカのセンスに合って
いる。

 シンジと同じ年に生まれて、それが今アスカの目の前に現れて、シンジの腕で一緒に時間
を刻んでいく。そこにはアスカも子供たちも含まれている。

 考えただけで、彼女の胸は、とくん、と高鳴る。

(素敵じゃないの。)

 もうほとんどこれに決まったようなものだ。

 ただ、勢いで買うのは良くない。じっくりと見るだけの注意力がアスカにはある。

「うーん」アスカはうなる。

 よく見ると、秒針が止まっている。いつから止まっているのかわからないが、アスカは自
分の手首の時計を見て、時計の針が示す時間がズレていることを確認する。

 アスカは振り返って、店主に声をかけた。

「あの。この腕時計、止まってるんですけど。直せば動きそうですか」

 店主がメガネをずらして、裸眼でアスカの手元を見た。

「ああ。それは、中の部品が一つ欠けてしまってね。2001年というと色々あった年で
しょ。あれから二十年以上経つし、メーカーも部品は無いし、本体の在庫も無くてね」

「それでこの値段なのね」

 安いのにはそういう理由があったのだ。

「部品さえあれば動くよ。この時計を買って、部品があるなら、修理は今回サービスしてあ
げる」

 店主は、今のままでは動かないという。

 残念だが仕方ない。

 2001年製でも動かない時計なんて意味が無い。むしろ、あの時のことを忘れるな、み
たいな、変な感じになりかねない。

 プレゼントに最適じゃないかと思ったのだが。

 後ろ髪を引かれる思いで、アスカは店を後にした。


   後編に続く