シンプルライフ第九話
   
『プレゼントは実験の後で』後編


 ネルフにてS2機関の稼動実験の行われる日。

 弐号機のエントリープラグの中でアスカは静かに待っている。

 実験開始の合図が来るのはもう少しかかるだろうか。

 初号機から弐号機へS2機関を換装しての稼動実験だ。

 使徒はもう来ない。ぜーレも存在しない。

 だから自分はもうエヴァに搭乗するることはないだろうとアスカは考えていた。
 
 そこへ来て、この実験だ。

 S2機関を使った新しいエネルギーの開発。

 使徒の中にしかなかったS2機関を、初号機が一度内部に取り込んだ。つまり、永久機関
を内蔵しているということだ。

 さらにこの世界で唯一つの永久機関ということになる。

 これが実用化されれば、人類が存在する限り、存在しなくなった後でも、無限にクリーン
なエネルギーが取り出せるということになる。

 アスカがパイロットとなるため、初号機から弐号機にS2機関を乗せ換えてある。

 失敗すれば米国ネルフ第2支部のように消滅する危険があるから、細心の注意を払って実
験する必要がある。

 最後までシンジには理解してもらえなかった。

 いつもならどんなことでも全部話すし、お互いに理解しあえているのに。

 稼動実験には万全の準備を整え、細心の注意を払っているが、それでも危険はゼロではな
い。

 そのことをシンジは危惧していた。

 君がいなくなるなんて耐えられないと。

 でもこれは必要な実験だ。

 セカンドインパクトがあって、文明は崩壊しかけた。

 それでも人類は生き延びた。その他の動物も植物も、同じように。

 もう帰らない種もいるけれど、それでも生き残ったものたちの生への意思の強さを、母親
となってからのアスカは実感するようになった。

 これからも人類が生きていく上で、電気は必要不可欠なものだ。それが無尽蔵に取り出せ
るようになれば、タクトやミライたちの為になるし、さらにその子、孫、その先の子孫の為
にもなる。

 実用化できないならできないで、他の道を模索する必要がある。その為にも、実験を行わ
ないと次に行くことができない。

 シンジの母親である碇ユイは、エヴァ開発の実験に参加してエヴァに取り込まれているこ
とをアスカは大人になってから知った。

 その当時は、シンジを置いていったユイをアスカは許せないと思ったこともあったが、今
なら彼女の考えも、少しだけならわかるような気がする。

 そばにいることで与える愛情があるように、子供のずっと先の未来を守るための愛情もあ
るのだ。

 ただ、わかったからと言って、碇ユイに賛同するわけではない。

 アスカの心はしっかりと決まっている。

 実験に成功して、シンジと子供たちが待つ家に帰る。それだけだ。

 万が一、失敗したとしても、絶対に状況を好転させて、我が家へ帰るつもりだ。

 極めて楽観的な思考だが、これまで培ってきたキャリアと、それに伴う自信がある。

『あの頃』のように、自分を客観的に見られない精神状態での自負とは訳が違う。

 アスカはタクトやミライと離れて暮らすことなど考えられない。シンジともだ。

 だけど、母親が子供の幸せを願うこと、それ自体を否定する気はない。

 要はやり方の問題よね、とアスカは呟いた。

『アスカ。聞こえる?』

 リツコの声が聞こえて、アスカは思考をいったん止めた。

「ヤー。聞こえるわ」

 一瞬、ドイツ語で返事をしてしまったが、心は平静だ。

「こちらの準備は完了よ。あなたがOKなら実験を開始したいのだけど』

「大丈夫。いつでもいいわ」

 これが成功すれば、人類の生活は大きく進歩するだろう。

 少しばかりの不安と大きな期待。

 そういえばタクトからパパの麦茶が入った水筒を渡されていたのだった。

 エントリープラグの中にはさすがに持ち込めないので、後で飲もうとオペレーションルー
ムに置いてきてある。

 実験が終わったら飲もう。アスカは微笑んだ。

 これもまた、幸せの形の一つだ。


   ■■■ ■■■ ■■■


 実験のリスクは承知しつつ、アスカは直前までリラックスしていた。

 シンジは『平常心』というTシャツを着ていたこともある。アスカに言わせれば、シミ
ュレーションの段階で準備しておけば、本番で慌てることはない。もちろん、模試だけ満点
をとってもしょうがないのだが。

 しかし、リツコたちがいるオペレーションルームにミサトが現れたことで、彼女は一気に
不安になってくる。

 いくらなんでも不測の事態すぎる。

 エントリープラグの中に浮かぶサブモニターで確認すると、やはりミサトだ。

(なんで? 実験中はミサトクラスの幹部でも立ち入り禁止の筈でしょ?)

 葛城ミサト。存在そのものがトリッキーな女性。トラブルメイカー。世間からみれば十分
に大人の年齢である。本人もその自覚があるが、その認識が間違いだ。

 ミサトの中身は子供なのだ。興味のあるものには突撃するし、良かれと思ったことは吟味
せずに即実行してしまう。彼女の中には十歳の子供が四人いるようなものだ。

 実戦で突拍子もない作戦を発案し、それを実行したハートの強さは認めるが、こういう時
にやってくるミサトは危険な要因にしか思えない。

 過去にもミサトは、アスカが作る料理に調味料を入れただけで爆発させ、赤ん坊時代のタ
クトの髪型をアフロにしたことがある。

 ネルフ辞典があったとしたら、トリッキーの項目にはきっとこう書かいてある筈だ。

『突拍子もないことをすること。または葛城ミサト』と。

 今回のS2機関の実験では絶対にいてほしくない存在だ。

 赤木リツコの発明も突拍子もないものが多いが、彼女の場合、それが何らかの機械なら、
赤いボタンを押さなければいい。薬品であるなら絶対に飲まなければ、悲劇は回避できる。

 そういう意味では対処法がある赤木リツコの方が、対応は易しい。

 ミサトはステルス爆撃機だ。レーダーに映らないところからトラブルを投下してくるから
厄介なのだ。

 人としては嫌いではないが、一緒に仕事をしたくないタイプではある。

 嫌だな。とアスカは正直に思ってしまい、それは人の親としてはどうなのかと少しだけ反
省したが。

 彼女はまだ甘かった。

 反省する必要はなかった。ミサトはトラブルメーカーだからだ。

 ミサトが何かしたらしく、慌てるリツコがサブモニターに映っている。

 うわあ。なにがあったの?

 とアスカが考えていると、白い光に辺りは包まれる。


   ■■■ ■■■ ■■■


 はっとアスカが意識を取り戻すと、オペレーションルームが騒がしい。

 一瞬、アスカはここが死後の世界かとも思ったけれど、死んだにしては実験場ごとあの世
に行ったというのは考えづらい。

 アスカはオペレーションルームに問い掛ける。

「リツコ。何があったの?」

「実験が失敗したことは確実よ。そして、ここがどこかなのかが問題ね。ネルフ関係者が揃
いも揃って、死後の世界にきていると考えるよりは、S2機関から溢れたエネルギーによっ
て、私たちが別の位相に飛ばされたと考える方が現実的かしら。まだデータが少ないからな
んとも言えないけれど」

 それでもリツコが仮定の上での話をした時点で、相当精神的に余裕が無さそうだとアスカ
は思った。科学者である彼女は、普段なら仮定の話をしたりされたりするのが一番嫌いな筈
なのだ。

 さらにサブモニターで、ミサトがオペレーションルームの柱に縛り付けられているのを見
て、これは相当怒っているな、とアスカは冷や冷やした。

 おかげで、今の状況に対する余裕ができた。人が冷静さを失っているところを見ると、自
分が落ち着いてくるものである。

 アスカは、エントリープラグを出て、オペレーションルームへと向かうことにした。

 何か良くないことが起きているのはわかるのだが、『あの頃』の終わり頃のように、誰も
自分さえも信じられなくなっていた時より全然マシだ。

「シンジ心配してるわよね。なんとか誕生日までには帰れるといいけど」

 アスカの中で、シンジの元へと帰ることは至極当然のことだ。


   ■■■ ■■■ ■■■


 オペレーションルームでは、リツコをはじめとした研究スタッフが、慌しく動き回ってい
る。

 こういう時に今の状況を確認するのは、邪魔にしかならないだろう。

 あとでブリーフィングがある筈だ。そこである程度まとまった情報を入手した方がいい。

 アスカもプロジェクトの当事者だが、パイロットの役割がある以上、今からオペレーショ
ンスタッフに混ざるよりは、と考えた。

 代わりにアスカはオペレーションルームの柱に縛り付けられたミサトに近づく。

「あら、アスカ」のほほんとした表情でミサトが言った。

「ミサト、何をしでかしたの?」

「いやあね。あたしは何もしてないわよん。S2機関の実験だって聞いたから、どんなもの
かと見に来ただけよ」

 悪びれる様子がない。本人が無自覚に何かしたのだろう。

「どこにも触ってないの? だったらこんなことになるわけないでしょ」

「そりゃあ、弐号機をよく見ようとして、ちょっとつまづいたわよ。それでちょっとパネル
に手をついたら、そこにボタンがあったりはしたけど」

「それがしでかしたって言うのよ!!」

 今の所、誰も死んでいないから良かったようなものの、やはり原因はミサトだった。

 本当にミサトは運だけで生きてるわね。とアスカはため息をついた。

 疑惑が確信に変わっただけで、状況は変わっていない。

 ブリーフィング、早く始まらないかしら、とアスカは思った。


   ■■■ ■■■ ■■■


 集まっているスタッフの輪に入り、アスカは腕組みして仁王立ちで話を聞く。

 マヤが手にしたバインダーの資料を見ながら言う。

「S2機関から発生した膨大なエネルギーが、位相ジャンプを起した模様です」

「そのジャンプに巻き込まれた範囲は?」リツコが尋ねる。

「ネルフ本部全体ですが、それより広い範囲には影響がない模様です」

「市街地を巻き込まなかったのは、不幸中の幸いね。米国ネルフ第2支部の時は、四号機の
周囲八十九キロも消滅したものね」

「今回、この範囲だけである理由は、今のところ判明していません」

 オペレーションルームの内線電話が鳴った。

 近くにいたスタッフが電話を操作して、スピーカーモードに切り替えたので、向こうの声
が部屋にいるスタッフたちにも聞こえるようになる。

「赤木博士!」

「どうしたの?」

 スピーカーの向こうの声は焦っているようだが、リツコは平静さと冷静さを既に取り戻し
ている。

「このネルフ本部の外に、街があります!」

「ということは、ここは地球のどこかということ?」

「いえ、その街というのは、米国ネルフ第2支部のようです!」

 誰もが息を呑んだ。

 アスカだけは、まだまだ帰るチャンスはありそうだと楽観的に考えている。

 それだけ今のアスカは強くなっている。一人では無理だったろうが、二人なら強くなれた。
三人、四人と家族が増えるたびに。さらに強くなれた気がする。

 アスカは過去のことを思い出す。

『あの頃』は、ここではないどこかへ行きたくて仕方なかった。

 自分の居場所なんてものがあると思わなかったから。

 今は帰りたい場所がある。

 自分が居てもいい場所ではなくて、自分が居たいと思う場所、そこには一緒に生きていき
たい人がいる。

 だから、諦めるとか、投げ出すという選択肢が、彼女には無いのだ。


   ■■■ ■■■ ■■■


 赤木リツコが位相ジャンプの仕組みを説明している。

「テーブルクロス引きってあるでしょ。素早くテーブルクロスを引き抜くと、慣性の法則が
働いて、食器はそのままテーブルの上に残るっていう」

 もっぱらアスカとミサトに説明しているようだ。

 アスカたちの反応を気にせず、リツコは説明を続けた。

「S2機関の発動により、その力でネルフ本部がテーブルクロスみたいに移動した。世界は
というと、元の場所に存在しているってことね」

「で、ここはどこなの?」ミサトが聞く。

「世界のはじまり。もしくは世界の起点とでもいう場所かしら?」

「そこにアメリカの第2支部もいるってわけ?」

「前回のS2機関の稼動実験で跳ばされたんでしょうね。今の状況で言えることはそれだけ
だわ」

 赤木リツコでも、わからないことはある。


   ■■■ ■■■ ■■■ 


 ネルフ本部、そして支部が通信でやり取りをする時、別の組織から盗聴や傍受される危険
があるので、特別な暗号を使う。

 アスカたちネルフ本部のメンバーは、それで第2支部に通信を試みた。

『そちらで飼われている黒猫の名前はソロモンなりや?』

『否。当方の猫は三毛であり、名前はヒミコである』

 などという一連のやり取りを介して、ネルフ本部と米国ネルフ第2支部は通信を行った。

 お互いが代表を出し、直接会って会議をすることになった時、ミサトがお気楽な口調で言
い出した。

「いやーん。あたし英語忘れちゃったわー。自信無いわー。道具出してよ、リツえもーん。
翻訳こんにゃ機とかないのかしらーん」

 とまったく空気を読まず、かつ気の抜けたことを言ったので、ミサトはリツコに命じられ
たスタッフたちに、今度は椅子に縛り付けられた。

 向こうの交渉係はモンタナ大尉という四十がらみの渋い男で、その他に三人の職員を連れ
て現れた。

 話をして、幾つか得た情報がある。

 米国ネルフ第2支部が、四号機を用いたS2機関の稼動実験に失敗して位相ジャンプして
以来、この場所でずっと生活してきたこと。

 水源を発見したことが僥倖だった。彼らは農業を営むなどして、サバイバル生活を送って
いたらしい。

 食料やサバイバルの為の資材があったとはいえ、アスカたちは彼らの生きようとする力に
尊敬の念を抱かざるをえない。

 S2機関の稼動実験失敗の理由が不明のため、再度の実験は行っていないが、当時のデー
タをネルフ本部に提供してくれるという。

 最後に、モンタナ大尉の方から質問が一つあった。

 そちらの作戦部長は何故椅子に縛り付けられているのか。もしかして我々が十年こちらに
居る間に、そちらの世界の文化に変化があったのなら、ぜひ教えてほしい。

 それに対する赤木リツコ博士。

「気にしないでちょうだい。彼女は罰を受けているだけよ」

 それからミサトを見て、一言。

「無様ね」


   ■■■ ■■■ ■■■


 その会議に出席していたアスカは、モンタナ大尉の手首を見て気づいた。

「その時計!」

 アスカは大尉の腕時計を指差す。

「うん? これがどうかしたかな?」

「ちょっと見せてもらってもいいですか?」

「もちろんいいよ。君らからしたら、古いものだろうけど」

 笑顔で言いながら、大尉は腕の時計をはずすとアスカに手渡した。

「そんなに珍しいものでもないと思うが」

 アスカはじっくりと腕時計を見た。ひっくり返して文字盤の裏を見る。間違いない。あの
骨董屋で部品が無いからと諦めた腕時計と同じモデルだ。

 製造年は違うだろうが、大事なのは中身だ。中の部品が欲しいのだ。
 
「これ、どこで手に入れたの?」

「これかい? 米国ネルフ第2支部の職員に支給されたものだよ。普通なら米国製を使うの
だが、やはり実用的な時計はスイスと日本、この二国に限るね」

「なんたる!」

 幸運! という前に、興奮したアスカは天を仰いだ。宝の山を見つけた冒険家の気分に近
い。

「ねえ。これって第2支部には在庫とかあるのかしら」

 アスカに訊かれて、モンタナ大尉は同行していた職員と顔を見合わせた。

「どうだろね?」

「倉庫に行けばあるんじゃないでしょうか。動くかどうかは保障できませんが」

「だそうだよ」と大尉に言われて、アスカは身を乗り出した。

「あったら、一本貰えないかしら?」

「元の世界に帰れるなら、幾らでも。喜んで」

 絶対に一本は確保して帰るわよ、とアスカは誓った。


   ■■■ ■■■ ■■■


 本当にネルフスタッフは優秀だ。赤木リツコ博士が群を抜いた天才というのもあるが、彼
女の指示を理解し、実行に移せるスタッフも同じくらい優秀だと言っていいだろう。

 位相ジャンプし、米国ネルフ第2支部とのミーティングから数時間後、すでにリツコは状
況の分析を終えている。

 ミーティングルームの椅子に縛り付けられていたミサトのロープを、マヤが解く。

 リツコは面白くも無いといった顔でその様を見ている。

 アスカは自分の出番はまだであることがわかっているので、彼女にしては珍しく、静かに
たたずんでいた。

 これから元の世界への帰還のためにS2機関を利用する。

 ネルフ本部自体が位相ジャンプしたことは不幸中の幸いだったが、その幸運には、意外な
副産物があった。

 米国ネルフ第2支部のスタッフの処遇である。

 第2支部の敷地も含めての位相ジャンプは無理だ。

 しかし、ネルフ本部に彼ら全員を収容すれば、元の世界に連れ帰ることができる。

 これがネルフ本部の実験場だけがジャンプしていたら、彼らを連れ帰ることはできなかっ
ただろう。

 椅子から解放され、自由を取り戻したミサトにリツコが話しかける。

「信じられないけれど、ミサト。元の世界に帰る為に、あなたの力が必要になったわ」

「あら〜。あたしの?」

「そうよ。あなたのその予測不可能な動き。あなたが転んで手をつく、そのタイミングでボ
タンを押さないと、S2機関による位相ジャンプは成功しないことがわかったのよ」

「そんなことってあるのかしら?」

「不愉快だけど事実よ」

 冷たく言って、リツコは説明を続ける。

「先程の実験前ではそんなことは無かったのに、計画していた手順で実験シミュレーション
をMAGIで百万回試行したけれど、一度も成功しなかったわ。MAGIと私で原因を考え
た結果、あなたという要因が加わったせいで、今後S2機関が稼動するには、あなたが必要
不可欠という結論に達したわ」

「はー。そうなんだ。そこまで頼りにされると、頑張らないとね」

「ええ。責任重大よ」

 ミサトは鼻高々な様子である。今までリツコを頼りにしても、頼りにされることがなかっ
たのだから当然だろうか。

 帰れるのは嬉しいが、その後、S2機関は実用化しないだろう。ミサトがいないと動かな
いのでは意味がない。それだけは残念だが、科学者というものは挫折の壁を乗り越えてこそ、
その価値があるのだ。

 次は何の研究をしようかな、と考えながら、アスカはエントリープラグに乗り込んだ。


   ■■■ ■■■ ■■■


「アスカ。準備はいいかしら?」

 リツコの声にアスカは返事をする。

「ええ。こっちは準備万端よ」

 既に、第2支部の職員たちはネルフ本部に移動は完了していた。アスカが頼んでいた腕時
計も、モンタナ大尉が両手に抱えるほど持ってきてくれている。

「じゃあ。帰りましょう。ネルフ本部、米国ネルフ第2支部の皆で」

 リツコの言葉に、アスカは応じた。

「そうね」

「じゃあミサト」

 リツコがミサトを呼ぶ。

「はいはい〜」

「私が合図したら、つるっと転んで頂戴。そしてその拍子に、ボタンを押すのよ」

「了解了解〜」

「カウントダウン入ります!」マヤの声がした。

 カウントダウン。3、2、1、0

 リツコの声がする。「ミサト! 今よ!」

 ミサトが、わざと転び、ボタンを押す。

 皆が身構えていたのに、何も起こらない。辺りが白い光に包まれることもない。

「おかしいわね」リツコは不審そうに言う。「いいわ。シークエンス36から、もう一回や
ってみましょう」

 ネルフのスタッフは本当に優秀だ。すぐに気を取り直し、先程のミサトがボタンを押す直
前の行程まで巻き戻す。

「カウントダウン入ります!」マヤの声だ。

 そして、リツコがミサトに合図を出し、ミサトがわざとコケて。

 やはり何も起きなかった。

「まさか、失敗!?」リツコが声を上げた。

「ミサト! ちゃんとやんなさいよ!」

 これで帰れると思っていたアスカも、ついミサトに文句を言ってしまう。

「そんなこと言われたって、狙ってコケるなんてやってみると難しいのよ」

「そんなわけないじゃない。タクトなんてズッコケの天才よ」

 タクトならランサー5の最後でランサーイエローのギャグにしっかり対応できるのだ。

「タッくんはそうかもしれないけど〜」

 これじゃ帰れないじゃない、とアスカはタクトのズッコケる姿を脳裏に描いた。

 そこで彼女は閃く。

 もしかしたら。

 バカバカしいアイディアだが、この場合、バカバカしい方が成功するかもしれない。ミサ
トが絡んでいるのだ。試す価値はある。

「リツコ、ちょっといい」アスカが呼ぶ。

「何かしら」

 アスカはモニター越しにリツコへ、自分のアイディアを囁いた。

「嫌よ」とリツコは取り付く島もない。「そんなこと言うわけないじゃない。ナンセンスだ
わ」

「いやいや。これで上手くいったら帰れるわけでしょ?」

「じゃあ、アスカ。あなたが言えばいいのよ」

「こういうのはね、普段言わなそうな人が言うからインパクトあるのよ。そういえば昔、リ
ツコが実験中に『ポチッとな』って言いながらボタン押した時あったわよね〜。あの時は弐
号機が爆発するし、大変だったわ」

 それが赤木博士の古傷をえぐったらしく、うぐ、という声がした。

 ここは深追いしないで自責の念でリツコに自分から言わせた方がいいわね。と静かにアスカ
が静かに待っていると、リツコがあきらめ顔で言う。

「わかった。わかったから。今のを言えばいいのね」

「よろしくね。リツコ」

 リツコがスタッフに声をかける。

「さあ。三度目の正直よ。シークエンス36から、やってみましょう」

「カウントダウン入ります!」マヤがよく通る声でスタートする。

 カウントダウン、3、2、1、0

 ミサトがさあ転ぶぞ、とわざとらしく、動こうとするより早く、リツコの声。

「カレーのスパイスは、すっぱいっす!」

「あら?」聞いたミサトがずっこけた。

 モニター越しに見ていたアスカも納得のズッコケだ。

(どこに出しても恥ずかしくないズッコケね)

 そしてボタンが押され、辺りは白い光に包まれる。


   ■■■ ■■■ ■■■


 戻ってきたアスカは、流石にまいった。

 シンジに泣かれたからだ。怒られたらまた違ったのかもしれないけれど。

 シンジが使徒に飲み込まれた時、ミサトが『帰ったら叱らなくちゃ』と言っていたのに、
実際には泣いていたことを思い出した。

 あの時のシンジはこんな気分だったのかしらね、とアスカは理解できたような気がした。

「なんでだよ。な、なななんで、実験なんかしたんだよ!」

 背の高いシンジは、アスカを上から抱きしめられながら、泣いてむせながら、文句を言っ
ている。

 人類や子供たちのため、という目的があったけれど、シンジがここまで泣くなら、やるべ
きではなかった。

「ごめんごめんごめんごめんごめん。ほんとごめん」

 本当に自分は業が深いと思うけれど、泣きながら抱きついてくるシンジが好きだ。こんな
にまで自分が求められていると思うと、歪ながらも幸せだと感じてしまう。

 だから、

 もうシンジを泣かせない、とアスカはしっかりと思う。


   ■■■ ■■■ ■■■


 骨董屋にて。

 アスカは米国ネルフ第2支部からもらってきた腕時計を持ち込んでいる。

「おじさん。代わりの部品を持ってきたら、修理代はサービスって言ってたわよね?」

「ああ。そうだよ」

「これの部品を使って修理してもらえるかしら」

「これは……」白髪の店主は驚いたように腕時計を見た。「どこで見つけてきたんだい?」

「ちょっと仕事の関係でね」

「修理できると思うけど、いいのかい? これ未使用品だよね。新品から部品を取って修理
するのかい。こっちの方が価値はあるよ」

「いいのよ。これは貰い物だから、それをプレゼントにはできないでしょ。アタシは自分で
買ったものをプレゼントしたいのよ」

 それにこれは2001年製ではない。

「ふーん。なるほどね。でも、確かにそうかもしれないね」

 修理は一時間程度で出来るというので、アスカは適当に時間を潰した。


   ■■■ ■■■ ■■■


 六月六日。

 腕時計の包装にアスカは四苦八苦する。これも今後の為に、練習しないといけないだろう。

「シンジ、お誕生日おめでとう」

 アスカがそう言って渡すと、シンジはとても喜んだ。

「うわあ。ありがとう。時計だ!」

「2001年製よ。骨董品屋さんで買ったんだけど」

「そんなの全然いいよ。ってことは、僕とアスカと同い年なんだね」

 そう言われればそうだ。自分のことは忘れていた。

 シンジはさっそく腕に時計をする。なかなか様になっている。やっぱりこれにして正解だ
った、とアスカは嬉しくなった。

「これ、パパとママと同じ年なんだって」

 そう言って、腕にした時計をタクトとミライに見せる。二人の子供たちは珍しそうに時計
を覗き込む。

 家族の風景ってこれよね、とアスカは満足している。


   ■■■ ■■■ ■■■


 結局、S2機関は実用化されなかった。アスカは残念に思うけれど、次の研究をすればい
い。

 元の世界に帰ってこれたのは、ミサトが大きなウエイトを占めるけれど、ランサーイエロー
のベタなギャグがあったから帰って来れた部分も大きい。

 なのにスポンサーが激怒で番組終了の危機?

 赤木リツコ博士は天才だけれど、MAGIがあれば鬼に金棒だ。魔王のような力を振るう。

 この後、MAGIによるスポンサー食品会社の買収劇が起こり、特撮番組「神槍戦隊ラン
サー5」の放映は、順調に続く。

 ただし、問題が一つあった。人生は一難去って、また一難である。

『僕たちは、自分で用意したものしか、飲んだり食べたりしないよ』

 ランサーシルバーのカヲルくんが言う、いつものセリフだ。

『だけど、綾波ちゃんと鈴原さんの家で出される物は、飲んだり食べたりしても大丈夫だよ!』

 と付け加えるようになった。

 それは誰なんだと事情を知らない視聴者の間で物議を醸すが、綾波レイと鈴原ヒカリは、
自宅でアスカの子供たちにジュースを振舞えるので、満足している。



(了)